日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2011年03月21日(月)

やっとTVで情報を入れる気になってきたので、TVをつけている。
情報収集・整理して、元気出して行くぞう。



台湾、以前行った時、というか唯一行ったことのある海外なのだけど、わたしにとってとてもほっとした、帰ってきたって感じのする国だった。
え!?それでいいの?って笑いながらツッコミ入れたくなるような、ゆるさ。
でもとてもしっかりしていて、たくましい感じ。

日本と国交を持っていないから、自己責任で救援隊を派遣しているそうだ。
日本の5分の1の人口で、300円もあればお腹いっぱい食べれる物価の国なのに、23億円の寄付が集まったそうだ。
驚き感謝するとともに、そうだろうなあと納得もする。

そして、台湾だけじゃあない。
国交とか政治とか、それはそれであるとしても、人のつながり、人の気持ち、それもそれでしっかりあるのだなあととても感じられることが、今とてもわたしを満たしているように思う。
政治ってなんだべね。



求めるもの、時間によって刻々変わるってのも実感。
初めは食べるもの、飲み物、あたたまることが第一だった。
それなので、好きだったものでも、震災が起きた直後の時点でいらん!使えん!と思ったものがある。
その時点でもすぐに使えてこそなんぼだな、使い方がわかっててなんぼだなと思った。使い方が変化していっても、いつでも使えるみたいな。



あ、あと、水、出ました!
自分から出てくる感動、ヘレンケラーが「Water」って言った時くらいの感動。(推測)
なんて幸せなんだー。
このまま水の使い方も変わるかもしれないな。



マンガ家の井上雄彦さんのYouTube。
ショートバージョンで、最初にFUKUSHIMAってユニホームに書いてある子の瞳のきらきらを見ただけで泣く。
OK! 笑顔ですね!(つ∀`*)



あらゆるところに「正直かどうか」を意識する日々。
買い占めも「みんなが買ってるから」と買ってる人をネットで見て、なるほどねーと思った。
自分がどうっていうのじゃなく、ただ反応しているわけだ。



わかりやすい原発解説もたくさん読めてよかった。自分に戻ってきたのはこれが大きい。
例えばこちら。「うんち・おならで例える原発解説」と、
「うんち・おならで例える原発解説その2」
(他は紹介しないの?w)

そして今日ツイッターで紹介される画像等を見てると、あなたのイメージが…そこまでしなくても、励ますために笑わせているのか、と思う励ましが目に留まる。ラルフローレンとか、
「バレンシア、ユニフォームの名前をカタカナにする事で日本を励ます 画像」

とかね。。。
うれしいけども!好きだけども!

とどまっていると自分を不自由にするわけだな、たとえ従来の見解のままでも、とどまらずに前に進んで行けば道が開けるってことだな、と思った記事はこちら。[反逆の放射線効果(2)]
健康ランド…。



追記。

おおかみ少年の言葉を、過去は過去としてわたしは「今」聞けるかどうか、ということをなんとなく思っているところ。

好きなところも見れば、そうでもないところも見る。
ひとは自分に「それをしたいけどできない」「してはいけない」と設定していることをしている人に対して、否定的に見るものなのだなあ、ということも、今回の震災関連でなんとなく思っているところ。

誰を責めようが、本当に、それはその人自身を表現しているだけだなあと思う。

「生かされている」
実はわたしはこの言葉があまり好きではない。わたし個人の感覚だと、なんかパワーが出ないのだ。
一方的に感じるのかもしれないな。
与えられ、生み出す。
命が与えられ、そして自分が「生きる」と決めると循環するような。うまくいえないけど。


...




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