日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2011年03月05日(土)

命令されたり注意されたりすると、やる気がなくなる自分を意識的にも自覚してきたので、自分からちょっと勉強しようと上司から本を借りた。

そうしたら、勉強しろって言われたの?と他の人に尋ねられたので、「いいえ。言われるとやる気がなくなるから、自分でしようと思ってです。」と答えた。

すると、みちさんには言うとかわいそうになるから言わないって言ってた、と言われた。

そう、かわいそうなんです、と答えた。
これまでずっと、自分にかわいそうなことしてたしなあ。

かわいそう。
自分に正直にできるなら、逆に全然OK!
わたしが自分をかわいそうと思っていないならば、全然OK!
なにげにうさぎ効果か…?と思ってみた。

自分に正直でないとやることができないなんて、なんてかわいそうなわたし!(^o^)
無理ができないなんて、なんてかわいそうなわたし!

かわいそうごっこ(笑)

かたちが個性的すぎて切っても家具にできないし、燃やすと煙ばかり出るから使えない木、と切られない木の話を思い出した。
人間にとって使えない、だから切り倒されずに、木陰を提供したりして自分らしく生きていけるという話。

それはさておき、本題はこの後。

この時、相手の方の「かわいそう」という言葉は、わたしの中で「たいへんね」という言葉になぜか変換されていた。
そして、さらにそれなのになぜか、「かわいそう」という言葉が気になって仕方がなくなった。

なぜかするりと変換されたこと、そして言葉。
気になるので、気になるなーとかわいそうを見つめていた。


変換されたことは。
たぶんね、「失礼なことを言う人」と相手の人を見たくなかったのかもしれない。
でも、数秘で理解してきたのだけど、その方は自分を守る方法としてそれを使っているみたいで。。。
そしてただ、その人の今の表現なのだ。。。

そして表裏なしにそのまま言う人は、自分の葛藤を見つめるのにありがたいなあ、とも思った。

そして「かわいそう」という言葉。
これは鏡として自分に返ってきていたみたいだった。

わたしが「かわいそう」という言葉を使う時、それは相手をさげすんでいるような時だ。だからあまり使わないけど、使う時はなんか怒っていて、確実に下に見ている。
誰かが誰かを「かわいそう」と言っているのも、わたしはとても嫌う。

その感情が自分に向かったみたいだった。

大切にしたいというような気持ち、慈愛のような気持ちに変換…しちゃっていいものか。
まず味わっておこう。
かわいそう、は嫌いなもの。

…なるほど。
嫌いなものなのに、自覚なしで楽しんでたからおかしなことになってたのだな(汗)




処置室に行ったら、こどもさんが泣いていた。
呼吸器で刺激の加わっている粘膜部位の保護や、不快感を除去するネプライザーというものがあるのだけど、それをするのを嫌がっているみたい。

痛くないよー、と看護師さんが言っているが、いやだーいやだー、と泣いていた。
正直だなあ、と思いながらそこを去った。

痛くないけど嫌なんだなあ。
気になったのは、わからないでもないけどとにかくやらせようとしている親御さん(^_^;)

正直を大切にすると、どうして嫌なのかを聞いて、その嫌なことを取り除ければいいんじゃないかしら、と離れてから思った。

予想では、わからないから怖い、ではないかと。心電図とかも泣く子いるもんね。

不快感が取れるのは身体的にはうれしいことだろうし。
治って困るのであれば、それは違うとこを見る必要があるだろうし。

正直に時間をとっていこう。


...




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