日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2011年03月04日(金)

説得しようとする自分を見た。
母の質を本で調べて、そうしてどうするのかとイメージしたら、どうも説得している自分が(^_^;)

そうでなくてー。

母の質を理解して、それならどうしていくのが楽ちんか、提案と相談と母の気持ちの確認をする、という感じか。

なんとなく思ったのだけど。
わたしと母では「自分を大切にする」の意味合いもだいぶ違うだろうな、と思った。
どちらがどうというわけじゃなくて、どちらも自分にとって自分を大切にすることがどういうことかが違うと。

自分を大切にする、その仕方が違う。
知性としてはいい考えだねといいながらも、母の奥のところでは納得してなかったのかもしれないなと思った。
わたしもそれがわからなくて説得になってたんだな(それだけが理由じゃないっぽいけど)、と思った。

母の場合、周りに奉仕する意識の方がうまくいきやすい。
わたしの場合、自分を意識する方がうまくいきやすい。
それをわたしの目線でこうしたらああしたら、と伝えても使えないよなあ、と。
(しかも自分自身がわかってない状態でー)

これからは母から見える世界を意識して相談してみよう、と思った。
母はこれが得意で、だからこう思う傾向があって、ということはこのできごとはしんどくなりやすいよなあとか、やっと理解できるようになってきた。。。

ほんとに人それぞれ見える世界が違うのだなあ。

ということは、誤解されたくない、って無理じゃん。
そうならないような行動を選ぶとしても、そこに留まらない(こだわらない)ようにしよう、と思った。




昨日の件をもう一度思ってみた。

たすけてもらえる、かばってもらえるってうれしいなあ、と味わった。
(ここの信用が少ないような気がするな…)

そして少しわかったことは、自分だったらそれは気にならないことになってきているけれど、仮に同じことを他の誰かが言われているのを見た場合、わたしは「この人はこの言葉に傷ついていないだろうか?」と気がかりになるだろうことに気がついた。

だから、あの行動か。

気がかりになるのだなあ、と感じておこう。

傷つくのは、その人がそれを受け取りやすい状態というだけ。傷つくのも本人の選択とも言える。
傷つけることを言うとしても、その人がそういう表現をする状態というだけ。
なにを意図して言ってるとしても、そういう状態だというだけ。

先回りして気がかりになることないなあ。


...




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