日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2011年03月02日(水)

ささささ、さむいぃぃぃ。(∋_∈)
なんじゃいなー。この寒さ。


今日の気づきー。


まず、11について。

意識して話す必要があるという件。

わたしは基本的に自分の感じたことを確認して話すから言葉数が少ないのだけど、その分なのか何気にひとから耳を傾けてもらえるということに気づいた。

しかしながら、かなりてきとーで先入観丸出しな時も同じように耳を傾けられてるかもしれない、とふと思った。
同じ調子で話してるからなー。

意識しとこう。




ゲーム、飽きてきた。
それなのに、「もう少しでクリアだからやろうよ!」という自分に気づいた。最後どうなるか見届けたい、そのためには飽きたけどがまん!みたいな。

小学生とかの頃は、飽きたらもうやらなかったよなあ。
クリアしたゲームのが少ない。(っていうか、難しかった)

そして、飽きてすぐやめちゃうことを「いけないこと」としていたことも気づいた。
まあ、持続性がないというか、とっちらかるだけで身にならないとも思ったし、お金ももったいないってね。
自分の働いたお金で買ったゲームは、ちゃんとクリアしてみたり〜。

でも。
飽きたらやめていいよなあ、と思った。
がんばって続けていることはない。そっちのがもったいない。(この価値感も微妙かもしれないけどw)
そして、その上でまたそのうち気になって始めそうなものは置いておけばいいのだな、と思った。
もうやらなそうなものは、もう満足しきったものは、ありがとうと手放す!

飽きてもいいんだー。

と思ったら、最後までやる気になったけども…。
なんなんだ自分(^_^;)




仕事をしていて、あれ?なんでこうなったのかな?と思ったことがあったので見つめた。

そうしたら、「何度もせっつきたくない。しつこく何度も問い合わせたくないから。」という気持ちが出てきた。

ということは。

わたしがそうやってせっつかれたくない、
わたしが焦らせられたくない、

からだなあ、と思った。

焦らせずに、せっつかずに連絡を取ればいいのだー。




また母話題ですが。
疲れている時には母に会いたくなかった。なぜなら、母に会うと疲れるから。

身体の問題ではなさそう。母に会って何をするわけでもない。
気持ちが疲れてたのだろう。

逆の感覚で言えば、疲れているのに会いたい人だったり、行きたい場所だったりってあるわけで。
身体は疲れていたとしても、会いに行ったり出かけたりすると、すごくすっきりしたりして。

なので。

なんで疲れるってわかっているのにわたしは母のところへ行くのだろうな、と思ってみた。
なんでわざわざ行っちゃうの?
仮に、母じゃなかったらどう?
肉親でも、例えば亡くなってるけどばあちゃんとか、父とか、あとは兄とか。

「ばあちゃんに対しては、わたしがやる必要がない」
「父の場合も、好きしかないから問題なかったっぽいし」
「兄も別に…」

ふうむ。

出てきた中で、ばあちゃんに出てきた「必要」が気になった。
なんじゃ「必要」って?
「必要」って何?と聞いた。

そしたら、ばあちゃんは一緒に住んでる人が世話するでしょ。わたしは必要ではない。

お母さんには、わたしはいちばん近いところにいるでしょ。だから、わたしはやらないといけない。
娘でしょ。やらなきゃいけない。

…。

思い込み、はっけーん。

一緒に住んでなくても世話してよかったし、逆に近いからといってやらなきゃいけないわけじゃないよー。


今朝、先月自分に引いたタロットの並びが書いてあるノートを目にしていた。
それはどういう意味かが当時わからなくて、あとで見ようと並びだけ書いてあったもの。
質問は今回と似たようなことで、過剰に受け入れてしまって怒ってる感じのことについて。

主題がソードのキング。カチカチくんでした。
コントロールして、なにもかも間違ってはだめ。ルールでカチカチみたいなもの。

うまくいかなくても、うまくいかないことがうまくいってること…とその時はそう自分に伝えた。

今日、そのルールは自分で作っている、信じているものだってことがとても理解できた。

自分の作ってたルール・信じてたものでうまくいかなくても、うまくいかないことがうまくいってることに繫がっている…って。

そりゃそうじゃん!
うまくいかない=枠から出るってことだもんねえ。自分で作ってた枠から自分を出す。

しかしまあ、「近いから」って…。
おもっきし、物事を処理するのに適している、みたいな…。機械っぽい理由だなあ、と思った。無駄なく、みたいな。
さすが、今朝ソードのキングが気になっただけある。

思考が機械っぽくなったとしても身体は機械じゃないから、痛いよーとか疲れるよーとか知らせてくれるんだろうな。
機械の身体になったら気づけんな。。。鉄郎よ。


「娘だから」。
これまた。。。いらないなー、と思った。

わたしにとって母は、好きと嫌いが一緒にある人だから、課題としていい感じなんだろうなあと思う。
嫌いだけだったら、わたしはシャットアウトするところがあるから。切りかえちゃうというか。


そうわかった後で、被保険証の更新手続き等の用事があったので母のところへ行ってきた。


疲れなかった。逆に癒された。
母はかわいいなあと思った。好きしかなかった。

不思議なものだ。。。


もっとその好きを味わいたい。もっと好きになって、もっと一緒に過ごしたい。
でもそう思うと、意味わからず、なんか悲しくて泣けてくる。。。

なんだろうなー。




「わたしばっかりやってる!」

そのような表現をしている人を見るとわたしは、
そうか、それはわるいことをした(罪悪感?)。やらなきゃ!
と、意識してたくさんやっていた。

でもそうしても、その人は「わたしばっかり!」とまた言ってたりして。
そして、そうするとわたしはなお、たくさんやってた、というあほらしいことに気づいた。

それはその人自身の表現。そしてそれに反応していると、そう、エンドレス〜。

ええとー。疲れるはずですねー。 _○/|_

それにずうっと気づかなかったのは、わたしも同じものを持ってたからかな。
この間書いたから、自覚できた。

書いててよかったー。


...




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