つらつら - 2011年02月07日(月) 片づけ2日目、のはずだったけど、本とかDVDとかゲームとか売ったくらいで終わりー。 その代わり、夕方から友達とごはん&遊んだ。 今月の休みは片づけに使うつもりだし、なんかやる気が落ちないので大丈夫と思われる。 買ってきたゲームも少しだけプレイ。 うーん。おもしろいことはおもしろいけど、自分の推理の方が先に行ってたり、なんでこれには誰も突っ込まないんだろうとか、いまいち歩幅が合ってない感じで前編終了。 今のところ、作った側はどういう答えを求めているのかを推理している感じ、というのが正直なところ。 そのうち、のめり込めるといいなー。 たんす整理して気づいたこと。 持っている服を平均的に着ようとしている自分。 いろいろ着たい自分がいる。 そして、その割に実際の行動は決まった数着をぐるぐると着回していて…、どうしたいのだろう?と自分に対して思った。 気づいたから放っておこう。 連休で怒ったりトラブルとかもなかったので、過去の嫌だったフィーリングを思い出して予習復習をしてみた。 わたしの「誤解されたくない」とか「理解して欲しい」は、逆に言えば「相手を理解したい」だなあと思った。 そして、何かあった時の説明をいいわけと評する自分もいて、それをどちらが正しいのかとかどうでもよく、そう思うよなあと感じていた。 そうして少しわかったこと。 わたしは相手に対して、どういうことが起きていたのか伝えることを求める。知りたいから。 だから逆の立場の時、わたしも説明をしていた。それは問題解決に必要と思っていたから。 でもそれは時に、うまくいかないとか、自分がいいわけしたなとか感じるような時があった。 どうやらその理由のひとつは、その時相手の方がわたしに求めていることは、わたしを理解するための情報ではなく、「わたしがもう失敗を起こさないこと自体」。 それにずうっと気づかなかった。 わたしを理解するのはわたしがやればいい話だ。 そのような方には状況を説明するのではなく、これから自分がどうしたいということを伝えることが求められていたと気づいた。 おお。これ、自分自身でいないとできないな。自分をわかっていないと言えないな。 そして、相手は何を求めているのかを知ろうと思った。 これまでわたしは「決めつけられている」と感じていた。 おお、出た。被害者意識。 決めつけられても、誤解されても、自分でいればいいんだよなー。 …いいんだよなー。うう。 決めつけられても、誤解されても、自分でいれば何も起きないよなあ。 相手が聞こうとした時に伝えることができるし。 うーん。もうちょっと感じとこう。 ...
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