日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2010年04月21日(水)

自分の感情を解説する感じになってきました。
「あ、ただいま焦っております。このフィーリングは他者と自分とを比較して焦っている時に味わえます。」
とか、誰に向かってか解説しているような感じに。解説して感情を味わっているうちに、焦る意味はないということを思い出しました。

今日はいろんな馴染みのあるフィーリングを感じました。

時間の拘束に対する苛立ち。
母に対しての罪悪感。(得意技)
「また同じことを言わなければならない!」という思い込みによる苛立ち。

さーて、1個ずつ整理してみようっと。


自分が思った通りに時間が使えない時、どうして苛立つんだろう?

…自分のやりたいことがやれないような気がして。

自分のやりたいことがやれないとどうして苛立つの?

…達成できなくて、怠けてるといわれるから。

怠けてるといわれるとどうして苛立つの?

…努力しなきゃいけないらしいから、怠けていると愛されない。

努力しなくていいよ、怠けていても愛してるよ。それでも自分が思った通りに時間を使えない時、苛立つ?

…苛立たない。

じゃあそれでいこう。

次。


母に対しての罪悪感。
今日は午前中は母の病院受信日で連れて行きまして、午後にわたしは自分のための予定を立てていたのだけど、母のいるグループホームの方に「桜がきれいだからついでに見てきたら?」「こことかあっちとか…」と勧められたのですね。
でも、病院はどう考えても午前中いっぱいはかかる。そしてわたしは午後に自分の予定を入れている。

「午後はお母さんと過ごすことができない…」
「わたしは自分の予定を立てて、お母さんと過ごす時間を作ることを考えてもいなかった…」

と、罪悪感。
…いらん。

てなわけで。
別に選ぶなと。罪悪感を。これ選ぶと疲れるんだよー。

一方、母は母で「お母さんが転倒したりするから、東京の学校に行きたいのにまだ行けないでいる…」とわたしに対して罪悪感。

いらーん!
大体、お母さんのことでそうなったんじゃなーい!
(わたしが決断できなかった)

と、親子でお互いに罪悪感ドラマを繰り広げている。なんというか…。
わたしがそれを選ばないようになれば、母も使わないのかもしれないねー。

ちなみに、結局午後3時まで病院に時間がかかったので、自分の予定はズレました。

次。


ドクターが今後の説明で、母を不安にさせることを言いました。
っていうかただ冷静に、こういうケースもあるよと説明してくださったんですけれど、それを母の後ろで聞いていて、途中でピン!と来ました。

今、お母さん不安になった! (母は頭で妄想して不安になりやすい)

案の定、診察室から出た後、重くなってた (^^;)

その時にわたしは、
「ドクター、余計なこと言って!」
と思い、
「またわたしはお母さんに同じことを言わなければならないのか!」
と思いました。
「同じこと」とは、いつも…というか物心付いた頃からわたしは、そういう状態になった母にフォローすることを言ってたのですね。
ん? ということは、わたしだけじゃなくて、母も昔から変わってないんか。

「またわたしはお母さんに同じことを言わなければならないのか!」

んー、別に言わなくていいんではないの?と思ってみた。
なんで言わなければならないの?

…お母さんが辛い思いをしていて、わたしはそうじゃないアイディアを知ってるから。

でも知ってても言うことないんじゃないの?

…そういうお母さんを見ているのがわたしが悲しい。

お母さんはお母さんで自分でその考えを選んでいる。
「わたしが悲しくなくなるため」に、お母さんを変えようとしているよ。
お母さんが辛いアイディアを手放さなくても、それを認めてあげて、わたしはその時に浮かぶ悲しいフィーリングをどうにかしようとせずにただ味わってあげて。


以上、今日の自己カウンセリング。


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