日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2010年02月21日(日)

意外なことに気がつきました。
わたしはずっと、もっと自分の自由な時間が欲しいと、実際に得ているかどうかはさておき、ずっとそれを求めるような癖・満たされていないという思い癖があるのだと思っていたのだけど、・・・それは「思い込んでいた」だけようだ、というアイディアが出てきました。
そのアイディアはわたしにとってとても意外なもので、でもそれが真実に近いもののような気もするのです。

ムカッと来た時にどうして怒っているのか感情を追っていったら、「じゃましないで!」という感情だということが多かったり、ぐちや母自身の不安から来る話題でわたしが話したい話題ではないものに長い時間を取られるということにうんざりした思い出が色濃いので、自由な時間が欲しいと思っているのだと思っていました。

どうやら、違う。

母が先日転倒して強く身体を打って、現在は身体の痛みが続いていたり熱を出したりしてまして。
そういうわけで母が、
「自分の自由に過ごせる時間を取っちゃって申し訳ない」
と言ったのですが。

言われたわたしは、「?」という感じで。
わたしはそれでは自分の時間を取られたと感じていなかったので、「?」ってなって。

あれ?わたしは何に対して「時間を取られた」とか感じるんだ?と思ったのでした。

そうして追っていったら、わたしが被害者意識になったり緊張したりするのはなぜか、の新たなアイディアが出てきて。
すごくよくわかるのだけど、言葉では表現できるほどわかっていません。
ちなみにタロットのカードで言えば、ゼロのカードにぽんと放りこまれて「思い通りにならない!」「こうするって決めてたのに!」「準備できてない!」となると、緊張するって感じ。

「今ここ」にいなくなっていると、被害者意識になるようです。
味わってくれー。

全て、想定内だということを思い出そう。
思考の思い通りにならないことも。
一時決めてた通りにならないことも。
準備万端でないことも。
思考=わたし、なのではないということ。



ちなみに。
スタッフさんに、「心配ですよねー」と言われ。
母にも、「心配かけてごめんね」と言われたけど…。

心配してない自分にも気づきました。 (^^;)

そうそう、わたしは昔からそういうところがあり、学生時代にはよく「冷たい」と言われたものでした。
20代はそれに対して罪悪感というか、「わたしって…」と自分を責める感じがあったり「他人と違う」なんて分離感があったりしたのですが、最近はどうやら「心配を選択する/しないは自分が決めること」ということがわかってきたので、また昔に戻りました。

わざわざ「心配してないよ」っていうのは、「心配して欲しい」=心配することは愛、と思うドラマを選択している場合、冷たい言葉になるというのが大人になってわかったので言いません。
でも、心配してない。信頼してる。どんな状況になろうとも。

子供の頃のわたしってすごいなーと思い出すたびに思いますが、今は子供の頃にはわからなかった方法を取れるようになってきたし、自然に行動するだけでなくて頭でもわかってきました。
だから今の自分も好きですし、そしてしんどかった時期のわたしも今では大好きです。

だいすきだー。


...




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