つらつら - 2010年02月06日(土) どっかり雪が降りまして、寒いのなんのですね。 そして、数年(十数年?)雨や雪の日に履き続けたブーツの底が抜けました。両足の底がボロボロと本日取れまして、履きやすいからと捨てずにいましたが、さようならすることにしました。ありがとでした。 趣味・呼吸法、になりつつある今日この頃。 呼吸法をするとすぐにフラットな状態になれるし、エネルギーを高めたりリラックスしたり、目的によっていろいろできるので、ちょっと素敵です。 効果が体感できるから、おもしろくて呼吸法ラブなわけです。 「周りに認められなくてはならない」 5歳児のわたしのこの必死な感じの感情を意識していたら、いろいろわかりました。 頭ごなしに言われることや誤解されることを嫌ったりする部分がわたしはありましたが、「周りに認められなくては!」というのを手放したら、頭ごなしに言われても誤解されても、別に嫌じゃないなあということに気づきました。 頭ごなしでも誤解でも、相手の方の理解や感覚であって、話し合うということはできても、受け手ができない部分もあるもんねえ。 それはその人自身の課題であるんだろうし、代わりに他人の宿題することはできない。つーか、自分の宿題をしろという話で。 自信に関しても「周りに認められなくては!」は関係していて。 わたしは今まで、自信というものは経験して努力して「身につける」というものだと思い込んでいて、自信がない時はひたすら努力だ!練習だ!って感じで。 もちろんそれも自信になることではあるんだけど。 「周りに認められなくては!」を手放したら、この努力、必要ないんじゃないか?って思うことに。 自信は「つける」ものじゃなくて、自分と他人を比べない時にただ「ある」ものなんじゃないか?って思うことに。 自信があるから練習しない、ってわけじゃないしねえ。不足感や恐れを使って練習することに追い詰める、ってパターンでなくていいと。 それに、切りないわな。こうして作った不足感て。 逆に、自信がないと感じている時は、今誰かと自分を比べていると気づけるチャンスだなあと。 ちょっとそんなことを思う今日この頃。 それから、子供の頃のことを思ったんですが。 わたしはとてもくじ運が良くて、わたしの名前ではがきを出せば当たるって時代がありました。中学生くらいまでは間違いなく。名前貸してたくらい当たりました。 最近は懸賞とか応募していないからどうかわかりませんが、今はそれほどでもないかもなと思います。 何でそう思うかというと、以前は「当たる」感覚がわかっていたから。あーこれ当たるな、ってはがきを出す前から思ってた。思おうとしてではなくて「わかってた」って感じ。 信念が現実を作るのではなくて、葛藤が現実を作るのだそうです。 だからその当時は葛藤がなかったか、もしくは普通にアカシックからの情報を得ていたかしてたんかなーと、アカシックの練習をし始めて思うことになりました。 最近、ホ・オポノポノのブルーの波動のお水を作っています。 きっかけは、自然派の美容室に行ったら、青いボトルが窓際においてあって、そして店内の本棚に何気にポノポノの本が。 あ、この人ちゃんと実践してる!素敵だわ! 知識だけ入れてやってなかったので、わたしもマネっこして作るようになりました。 これまた体感がおもしろいです。 飲み水はまろやかになってるし、お風呂に入れたら入浴剤を入れる前にもうすでに柔らかい水に変身。 なんでかねー。ふしぎだねー。 ...
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