つらつら - 2009年09月03日(木) お金に対する思い込みっちゅーもんなんでしょうか。 なんだかそれに最近気づきました。 お金をかけてとか、遠い距離を移動してとか、自分で何か大きな対価を支払うと、最低限その分の元は取ろうと意図が起きて吸収するから、たくさんのものを得ることができる、と以前聞きました。 その後で、はるばる京都に通ってみたりとかして、なるほどすごいたくさんのものを得ることができて。 その通りだ!って思いました。 で、しばらく経った現在。 数百円で買える文庫本数冊、そしてほぼタダ同然のインターネットでも、すんごいたくさんの知識・そしてワクワクを得ることができています。 そうしてまた認識が変わりました。 対価によらずにたくさんのものをわたしは受け入れることができる!と。 どっちの価値観も本当だと思います。 初めの認識は、その前までにわたしにあった認識を変えました。 「京都は遠いところ。自分の欲しい物があるとはいえ、遠いところまでわざわざ行くなんてすごいなーと思う。わたしはやらないなあ。」という認識を変えました。 認識を変えるための、必要な認識でした。 で。 対価を払って得た経験があったことで、このワクワクを対価を払う必要なく得られるという素晴らしさ・感謝・それを提供する方に感ずるものなど、いろいろ出てくるわけで。 今支払っている対価といえば、読んだりするのに時間がかかるってことだけど、「それがなにか?」って感じだしねえ。 そして、また京都に行く機会があったら行きたいけれど、もはやそれを対価と感じていないしねえ…。 おもろいなあと思うデスよ。 ...
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