つらつら - 2009年07月16日(木) 一斉遠隔ヒーリング用の台本を書いてみました。やあ楽しみです。 今のところ、参加してくださる方も10人くらいかな。初回としてはちょうど良い感じ♪ ご協力ありがとうございます〜。 ゲリーさんのアカシックのCDを実践中ですが…寝てまう。 BGMもなく、都会的なというか感情的に入り込む感じではない淡々とした誘導なのに、2回目挑戦でもまだ最後のCDまでたどり着けず。 それだけまだまだわたしはリラックスしてないのねえ。 それから、まだまだ自分のことがわかっていないことに気づくことができます。(こちらは日常で) ああ〜ここを指摘されると傷付くのは、わたしがこういう反応をするのは、またこの思い込みと繋がってるのか〜、とか。 (突き詰めていくと、「お母さんを助けたい」という幼い頃の感情に繋がることが多くて驚く) あれ?感覚的にそういう感じじゃないなあ…、と他の方の表現を聞いて感じることで気づいたりとか。 そして、そうやって自分を見ていると、自然に周りの状況も大きく見ることができるようになっていくようです。そう言われているけど、実感してきました。 片方の言い分だけじゃわからないなあというか。全体的にどんなことが起きているのか。 ああ〜ストレスを与える与えられる関係がぐるぐる回ってるんだ…とか。 この人はこういう風に伝えられることが嫌という反応…そういえば相手の人はこういう風に伝えていてそれに反撃が来てるみたいだなあとか。 何かそういうことを、「へえー」と観察していると、自分はその葛藤サイクルの中には入らない(入れない)みたいだし、自分の中にあった「人が怖い」ような感覚がなくなっていく感じがします。 書いていて、わたしが「人が怖い」感覚の理由がわかったような気がします。また言葉で表現できないですが。 なんか…すごい必死だったんだなあって自分を見ることができます。そして、必死になればなるほど、「人が怖い」感覚になる方向に向いていたんだなあ…って感じます。 一生懸命自分の「外側」を、「外側」を、見ようとしていたんだなあ…。 わたしはお風呂に2時間くらい入っていることができます。本持参で。 で。 今日気づいたんですが、本持参だとわたしは、2時間入っていようが、のんびりゆったりお風呂に入っているという感覚ではないと。 たっぷり時間をかけてお風呂に入る…とてもゆったりした感じかと思いきや(今までわたしの頭部門はそう認識していた)、あれ?わたしはゆったりしてる時は本を持って入っていない時だし、それほど時間かかっていないぞ?と。 どうも、本を読んでいてその場から動かない時間があるから、それをお風呂と兼用しよう、という感覚であり、お風呂に長く入るために本を持っていくのではない、お風呂のための本ではなく、「お風呂に入る時間がなくなる」と感じずにたっぷり本を読むためのお風呂だった…、と今日気づきました。 お風呂より本が優先するわけですな。 わたしにとって、本は「ひまつぶし」のものではなくて、読みたい情報があるから読むものなので、読みたい情報が書いてある本を、楽しい!楽しい!とずうっと読んでいられるけれど、…リラックスはしてないと。 (だからゲリーさんのCDで寝てまうのでは…) 気をつけます。 見た目がゆったりしている行動でも、中身(感覚)が伴っているとは限らないわけね…。そうよね。 宗教って解釈の仕方だったんだろうなーって思います。 そういうことが好きな人が、もともとのものをそのように訳したんだろうなーって。意識的かもしれないし、「○○は××に違いない」という思い込み(無意識)からかもしれないけど、そういう価値を本を書いたその人が持ってたってことがわかるって感じなのかもなあと思います。 一斉遠隔ヒーリングを「大いなる試み」と表現された時に、「はぁーなるへそ(感心)、なんか宗教とかでへんちくりんな方向になるケース、勘違いするケースがちょっとわかったかも?」と感じました。 どの辺りを「大きいもの」と捉えるのか。 どの辺りを「ささやかなもの」と捉えるか。 自信を持つ部分、謙虚になる部分。 ささやかな試みが、それぞれの大きなものに繋がるといいなと思っています。そしてそれらがまた繋がっていくといいなあと。 違う意見を聞くことで、自分がわかる。素晴らしいことだ。 ...
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