日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2009年03月03日(火)

自分と母との関係性をしばらく見つめていました。
そういうものを扱った書籍も読みました。そしてわたしの兄と母との関係性とは少し違っているなあ、ということを確認しました。本の中で例として出されている方たちとの共通する感情を、自分の中で味わってみました。

「おかあさんを助けたいのに助け方がわかんないよぅ〜。助けられない、ごめんなさい・・・。」としくしく泣く子供の自分が、大人の自分の中にいました。少し前から存在に気づいてるから、今では薄れてきていますが。
わからないことに対する無力感よりも罪悪感を感じていたのだなあ、と味わいました。

自分の意識を変えてみようと思うのと同時に、母の生活しているグループホームの方にも変えてみて欲しいことが見えていて、それをどうやって伝えよう?と思っていました。

そして、そんな必要はなかったことに気づきました。

そういえばいろんな本に書いてあった、と気づきました。自分の意識を変えればいいだけだって。行動して変えようってあまり意識しなくていいって。

それを意識できたのは先日、グループホームの昼食会で、でした。

「せっかく作ってもらったんだから残すと申し訳ない」と母がお腹がいっぱいなのに無理して食べようとしていました。わたしもお腹がいっぱいなので、手伝うことは出来ません。

「残してもいいんだよ」とグループホームの方も言ってくださいますが、母の根本はそこではないからそう言われても頑張り続けてしまいます。

なので、母に「申し訳ないと思う必要がない」ということを伝えます。

「自分がいただけるだけ充分いただいて、それでいいんだよ」
「作ってくださった方の心を充分受け取ったら、それでいいと思うよ」
「ありがとうございました、ごちそうさまですって、お母さんは心で返せばいいんじゃないかい?」

途中で「物質的なものを受け取ることだけが、こころを受け取ることじゃないしねえ」と言いそうになって、あれ?なんだかスピリチュアル感覚で言ってる?と気づいて、そしてふと母以外の周りの方にも意識が向かって、何気に自分が「公演」していたことに気づきました。
あ。 (;¬_¬)

自分の意識を変えると、自分が例として見せられるから周りに伝わります。
・・・ってことを頭ではわかっているのですが、無意識に自分がそうしていることに気づくと、すごいな、と思います。
無意識ってすごいなと。頭が付いていけていません。
意識(頭)的な行動じゃないので、気づくととてもキハズカシイ。

で。
母は物質的なものを受け取ることで態度で示す、ということをやっているんだなあ、ということも理解しました。
(気を取り直してみました)

そして。
わたしは母から「罪悪感」をバトンリレーで受け取ってるだけだなとも気づきました。母の「(残しては)申し訳ない」は、わたしの「(助けられなくて)ごめんなさい」と似ているかもしれません。
解決できそうだなあ。実際、以前のわたしにあった「やらなきゃ!」と追い立てられるような感情はなくなってきているので自信があります。



自分の書籍の読み方が変わったなあと思いました。
なんというか、以前よりも細かく「これはこの人の考えだ」「これはこの人のケースだ」と自分との区切りに気づくようになっていて、今は本を読むのにすんなり読めません。
以前までは、始めから「これがわたしの考え〜」という壁を作って読んでいたり、「あなたの意見を全て体感するわ〜」と自分を相手に任せたまま読んでいたりしてたので、すんなり楽に読めていたんだなあと思いました。

わたしは、今の感じの自分の読み方の方が好きです。
そして、この状態でも楽しく心地よく読める本があることにわくわくしています。


...




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