つらつら - 2009年01月15日(木) 楽しい時こそグラウディング。 辛い時こそグラウディング。 もっと強くグラウディングが必要なんだなあと、必要に迫られて意識を向けています。 わたしは、自分の大好きな人の死を恐れるところがあります。この気持ちはもう物心ついた時にはありました。 そしてその部分を、わたしはこれまでずっと見ようとしていなかったということに今日気づきました。 あるのは知ってるけど、見ようとしていませんでした。 それを解決したら次の段階、みたいな感じなので、解決したいと思います。 「サラとソロモン」を読み直してみよう・・・。(サラも解決してないけど・・・仲間意識というか) これを書いていて、もうひとつ気づきました。 だからわたしは、はじめから自分の好きなものを諦めようとする思考が働いていたんだなあと・・・。そんなに好きじゃなければ怖くならないから。 でも、わかっちゃったから解決するしかないです。 体に痛みがあるのは、体を大切にするため。痛くならないように大切に扱います。 こころが痛いのは、大切なものを知るセンサーにするため。どうしてこころが痛むのかを見てみると、そこには自分の大切なものが関わっています。 ということは、「痛み」というのは知るためのものなんだなあ。 そして、痛みから学んで、自分の大切なものや自分の幸せの感覚を充分に味わっていれば、もうわざわざ「痛み」を経由する必要はないんだなあと思いました。 追記です。↓ 風呂に入っていたら、幼い頃のことを思い出しました。小さい頃、わたしは父が出かけたりすると、帰ってくるまで心配していました。(口には出さなかったけれど) 言われてみればそういう時期があったなあ・・・でも、そんなすっかり忘れていた記憶が、今更なぜ出てくる? 大好きな人の死を恐れることに繋がるからです。 どうして恐れるのかなあと、問うてみました。 ひとりぼっちになるという風に感じるの?と聞いたら、NOという答え。ひとりなのは当たり前らしいです。 どうやら、自分の一部がなくなるという感覚らしいです。 ほう、そういえば小さい子は親は自分の一部と思っているとか読んだことあったなあ、と別情報に繋がります。 そうか、自分の一部がなくなる喪失感が大元なのか。 とぼんやり思っていたら。 「本当のところは、みんなの中に自分がいるのよ。わたしは調和のひとつの部分なのです。だから、なくならない。」 という答え。 うーん、なるほど。 そして、これを書いていたらまた繋がりました。今度は前世療法セラピスト講座受講時に。 前世だけでなくて、自分の魂の根源に帰って分離の体験を再体験する、ということもできます。根源から分離する際に傷付くと、孤独、自己否定、恐れ、が生じます。それを癒してくるセッションなのですが、その練習でわたしがクライアント役で受けた時に、その3つのうちの「恐れ」が出てきました。 (自分では自己否定を予想していたのですが、恐れが出ました) 何を恐れたのかといえば、「これっぽっちになって、これからどうやっていけばいいかわからない」という恐れでした。 あー・・・、これが「自分の一部がなくなる」に繋がって、「大好きな人の死を恐れる」に繋がるのか・・・と感心しています。 (^^;) ...
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