日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2008年12月26日(金)

自分自身に対してヒプノをできないのが残念なわたくしですが、夢を見た時はセラピスト講座で受け側になった時のことを思い出して、この夢はどういうことを象徴しているのかなあ、と意識したりしてます。

今日は、過去に本当にあったことがポンポンといくつか出てくる夢も見ました。

「その当時、そういう感じの関係性だったなあ」
「この時にこれこれこういう風に行動をしてその後こうなったけど、本当はこういうことがこの時点で起きていて、後から起きることもわたしの行動によって違うのかもなあ」
「今もこの性質があるなあ。あるということを意識してるといいかもなあ。」

など、反省とかではなくて、「そう思う」という軽い感じで見つめてみたりすることをしました。

ひとりの人の性を、何人もが取り囲んで楽しむという場面も、今日の夢で見ました。設定はTVのワンシーンという感じで、わたしは離れたところからそれを見ているという感じの夢でした。
モザイクなし。「嫌だ」というわたしから出る感覚。
これは過去に実際にあった場面というわけではないけど(少なくとも今生では)、これも見つめてみました。何が嫌なのかなあと。

どうやら、「直接的な表現」とか「取り囲んでひとりの性を楽しむ」ということが嫌なのだなあと思いました。
性の対象とされる方が喜んでいても嫌がっていても、その嫌な気持ちには関係がないみたいだなあと観察しました。

それが象徴するのは、「力がある状態で」「優位な位置で」というものに対する感情のようです。
1対1の差し向かいというのではない状態、ということに対する感情のようです。

ふーん。


夢をかなえるゾウの最終話を見ました。おもしろかったでーす。

1、「課題を受け続けていれば大丈夫」という、課題を貰うことに対する依存
2、「課題を出さなくていいから、わたしの側にいて欲しい」 その気持ちを伝えたら、後は相手がどうするかということには執着しない

そんなことを思いました。
1の状態になって、自分の役割(できること)を考えなくなったりしてては意味ない。
わたしの宗教に対する苦手意識はこれもあるなあ。


...




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