日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2008年10月11日(土)

ヒーリングレポートを集める必要があるので、これまでよりも多くの方に声をかけて、現在練習をさせていただいています。

こんなことを尋ねられました。
「どうしてこういう(ヒーリングみたいな)ことを勉強しに行っているんですか?修行みたいな、精神的向上みたいな感じですか?」

聞かれて気づいたのですが、そんな「しんどそうな」イメージはわたしにないなーと思いました。

「楽しいから」やっている、って感じ。

数年前の自分を思い出してみて、そのわたしが「精神的な儀式」と捉えていたものが、今のわたしにとってはそう捉えてないということに気づきます。

「頭で、こういうような思考の方がいいよと考えて、そう意識する」
この一文、数年前のわたしと今のわたしでは、受け取り方や実践の仕方が異なります。
数年前のわたしは、「そう考えた方が良さそうと意識を向けてみるものの、それは表面的・形だけのもので、芯では信じていないこと」でした。
今は「意識を向けるだけ」。信じる・信じないとかを、考える必要がなくなっちゃった感じ。
ふと思ってみたけど、「考えたから、信じようと努力したから、信じられるようになる」ってわけでもないやねえ・・・。

気づいたんですよ。どうしてわたしは今の仕事についたのか、そのルーツを思い出したんですよ。
もともとわたしは「実験」が好きで、だから科学系の授業は小さい頃から大好きであり得意でした。だから理系の仕事に進んだんだよねえ。

自分がどのくらい長く「実験好き」だったのかを、どのくらい「実験好き」なのかを、すっかり忘れてたよー。

わたしは実験好きだから、楽しいのでやってます。


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