日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2008年08月26日(火)

最近、誰かが他人の良くない面を言っている場面に会った時、「どうしてこの人はその部分に気になっているのかな」と見つめます。
他人に優しくない言葉は自分に優しくない言葉でもあるんだよなあ、と思いながら見つめます。
(同じ価値観で自分を扱うことになるから)

必要ないのに感情移入していたから疲れてたんだなあと気づきました。
取り込まないで丁寧に聞いていると、相づちの言葉もこれまでとは違うものを使うのだなあと気づきました。
「わたしはそれをYESともNOとも判断しないけれど、あなたはそう感じたのだねえ」
というようなニュアンスに。

昔は、「あなたのYESの気持ちを味わうと、なるほどYESなのかも!」と同調したり、「えー?これはNOでしょ」とジャッジしていた感じ。
わたしの体験ではないのにねえ。

自分の価値観の逆の表現を、話の流れなどでつい面倒になってしてしまったり、自分の感覚に素直になれなかったり、そういう時、最近のわたしは居心地が悪くなってギシギシするようです。
以前までもそれは居心地がよくなかったのだろうけどギシギシしなかったのは、今より鎧を着ていたからなんだろうなーと思います。ちょっと脱いだんだなあと気づきました。

自分の持っている価値観を、相手に対して失礼にならないような言葉で、素直に簡単に伝えていきたいなと思います。
まあ、自分ができる表現から少しずつ。


...




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