日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2008年07月04日(金)

オーガニックのスキンケア製品を扱っているニールズヤードのクリームを使ってみました。
うわー。しあわせー。
香りがわざとらしい「香り付け」的なものではなくて、とても気持ちがよくて、息をいっぱい吸いたくなるような感じで、他のアイテムも使ってみたいなと思いました。


ここしばらくしんどかったです。
ハートチャクラの場所がはっきりわかるくらい痛かったです。
ここだろここ!胸骨の裏!
これまでは、胸骨の辺りにあるという情報と(わたしの感覚では「あるらしい」という感じ)、ヒーリングするとその辺に流れるなーという感じでしたが、最近は、「ここでしょ!」と決め打ちする感じでひたすらハートに向けて自己ヒーリングをしていました。やっとひと段落したようなので、こうやって日記を書いています。
自分が望んでその通りになっているだけなのですけど、おかげで自分のことがとてもわかってきました。

わかったこと。↓

自分と違う意見の時に、自分を即打ち消すことがあったということ。
そして一方で、違っていても打ち消さないケースもあるということ。
打ち消さないものは、自分で自信があることであるということ。
だから、自分を信じて優しくするということは、自分の責任を自分でとることなんだなあと気づいた。

相手の表現は心で聞き、わからなかったらそれを知っている人に聞くということ。

目を伏せて、気づかない振りをして、それでも胸が痛むほど悲しかった学生の頃の失恋に、何年も蓋をしていたということ。
「でも」と蓋をする自分と、悲しんでいる自分とが葛藤していて、それ自体は今のわたしにはもはや全くどうでもよいことなのだけど、一方でその時の感情の影響は今までもわたしの意識していない部分で続いていたという発見。
槇原さんの「どんなときも」はすごい歌詞だなーということ。
ぼくがぼくらしくあるーためにー好きなものは好きといえる気持ちー抱きしめてたいー♪
好きだというだけで素晴らしい。
タイミングが合ってなかっただけということ。

察することができても、それをわたしがする必要があるわけでもないということ。本人が手伝って欲しいと表現し、選ぶということを尊重すること。

世間の常識イコール自分の常識というわけではないということ。
自分だったらどうかを、頭ではなく心で感じ取ることの重要さ。
物語をたくさん楽しんできて、その影響が思考癖になっている部分があることにも気づいた。
(例えば、「あれ?なんでこれが恥ずかしいんだろう・・・」「どうしてこの時にああいう行動をとるんだろう?」と自分の感情を追っていったら、それは自分の価値からの恥ではなくて、あのマンガでそういうものだったから、みたいなものが出てきた)
わたしは世間の常識を、自分を守るための方法として使っていたんだなあということに気づいた。そうしてガードし続けていたところがあったんだなあと。
守る必要のない人にはガードする必要がないということに、やっと気づいた。


松田くん見たさに「ライアーゲーム」を動画で楽しんでいる現在。


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