日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2008年06月12日(木)

基本的に今はテレビでのニュースを自分からは見ませんが、見ることになる時はあります。(職場で他の方が見ていたりね)

それでアキハバラの事件を見たのですが、今のところコメンテーターさんの質や街の声はそれほど変わっていないんだなー、と思いました。
(そういう人ばかりが映るのかもしれません)

会見のご両親の姿を見て、グラウディングのことを思いました。
グラウディングができて、これからを行動できるというような環境を、周りが作れるかということも試されることでもあるなと思いました。本人達だけじゃないということ。

事件を起こした方の情報を見ると、よほど自分が嫌いだったんだなということがわかります。自分を愛していたら、ああいった事件は起きないだろうな。現在の日本で、自分を愛していない人の多さが、こういう事件の多さに繋がると思います。表面化した人だけがどう、ということではなく。

周りに対して行うことは、自分がされたいこと(扱われたいこと)ということをよく言われるけれど、実感として理解できます。
愛されたい、愛したい、という気持ち(携帯電話の情報を事件前に消していた理由からそれがあると思いました)と、それを求めることに対して自分はふさわしい人物ではないと感じていること(掲示板)との葛藤が見えます。片方の思いだけでも事件は起きないのかもしれません。
親の役割で何が大切なのかがわかります。

人生はゲームでありドラマであり、自分で自分が遊びたいように演じたいように作れるもの。
仲間意識を持つドラマを共演・視聴するなら、素敵なドラマにしよう、美しいドラマに参加しようと思います。


今日わかったこと。
わたしは1回だけではその情報を信じないところがあるということを知りました。
というか、そもそも気にかけないようです。人の話を聞いちゃいない自分に気づきました。
「あ、そーなんだー」とその言葉に意味が隠されているとしても、なんでその言葉を言っているのかを深く追うことはないようです。1、2度くらいの情報では表面だけ見るようです。
単純明快、疲れない。わたしはそういう戦略だなー。
例えば、「え!?こんなこと言っちゃったら、わたしが好きだってことバレバレ!」なんてことが通用しないと(笑)
相性ってこういうことだろ、と思います。


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