つらつら - 2008年06月08日(日) 主観を大切にして、自分の感情をじっくり感ずるということを意識していると、いかに自分が感じないようにしていたか、他人の価値観を自分にどれだけ与えていたかに気づきます。 相手の考えがそうではなかった時にそれを伝えることでわたしが責められる、ということがよくありました。 以前は、わたしの言い方が・・・と思っていたのですが、どうやらそうでもないなと気づきだすと、伝えることをやめようと思う必要がなくなり、自分を表現するようになっているように思います。 責められて少し戸惑う部分はありますが、今度はこれを手放す時まで、戸惑っているなーと感じていようと思います。 力のある人の怒りに対して恐れを持っていました。グラウディングが出来なくなってとても慌てていました。 どうやら「力のある」という思い込みをしていたようです。 幼い頃は生きていくために「力のある人」の怒りは怖かったのだろうけれど、今のわたしにとって本当に「力のある人」は、そもそも「怒らない人」であるなと気づきました。 恐れる必要を手放しました。あとは慣れるだけかな。 ある事柄の時に、わたしはとても眠くなるということを自覚しました。 すごく疲れてしまっていました。 そういうものだろうと思っていたのですが、周りに比べてわたしはそれによってとても疲れてしまっていることも気づきました。眠くなっている場合ではないのに、頭が働かなくなっていました。 だから、ちょっと「なぜかな?」と意識しています。 確かにここに自分の思い癖があるということはわかるんですが。 葛藤を手放すイメージワークを取得しました。おもしろい。 相反するような感情があるのが葛藤。葛藤がなければ進むだけなのです。 例えば、わたしは気にいっている人と一緒にいると、居心地が悪く感じている場合がありました。 これも幼い頃に身についた思い癖だったのですが、特に他にも人がいる時にそう感じていて、それを感じていたら自分に「選ばれないのではないか」という恐れがあったことに気づきました。幼い頃の兄弟の関係性が影響しているんだろうなーと思います。わたしは兄たちと年が離れていたり、兄たちの男同士の話題に入れない時があって、みたいな理由だろうなと自己分析。 「選ばれないんじゃないかという恐れ」と「仲良くなりたい」との葛藤を融合させたハイブリッドエネルギーは、なんとも軽いエネルギーとなります。その感覚がとても楽しいので、わたしは自身の葛藤を見つけることも楽しくなってしまいました。 恐れみたいなネガティブエネルギーが混じっているはずなのに、「仲良くなりたい」単独エネルギーよりも素晴らしいものが出来あがります。 すごいな、ハイブリッド。 どんどん予定が変わっていきます。 これまでやりたいと思っていたものが突然やりたくなくなったりして、その理由を見つめると自分の思い癖を見つけたり、本当に自分が求めているものとは違っていることに気づいたり、自分が何を求めているのかを知ることができたり、まあおもしろいです。 ということで、やっぱり京都に受講しに行こうと思うのでした。 技術ばかりを先に教わったところで自分が納得しない、ということを自覚する出来事がありました。 今は自分で、自分が教わりたい先生に教わることを選ぶことが充分できます。 精神性を学んで技術を学ぶ方が、技術を学んで精神性を学ぶに比べて、楽しいし面倒くさくないなと思いました。もしくは共に学んでいくことが楽しいなと。 技術が馴染んでしまってから精神性という土台の変更は面倒くさいなと、わたしの合理的センサーが反応します。わたしは精神的にも体力的にもがしがし進めるという方ではないので、それが変化球的だったり一見回り道に見えることであっても、なるべく労力を減らすような方法をとります。この辺、がしがし進める強さのある方との違いになるんだろうなと思います。 「悪い人ではないから」「技術はしっかりしているから」「まだまだ経験が浅いということは理解できるから」 そうやって諦めようとしていたものが、自分がもっとも求めているものであったことを気づきました。自分の楽しさは何なのか、わかりました。ありがたい。 その人の心構えみたいなものはそれとして語らなくとも、他の話題をしている時にも見え隠れをします。それを1度スルーしてしまったものの、気づくことが出来ました。 その心構えをわたしは真剣に受け取りたい。 まじめだなー、わたしって。 トイレをきれいに使います。きれいにしておけば、それに見合うようになる気がします。 赤ちゃんのうんちは甘い香り。いらないものすらきれいなんだろうなーと思います。 出すことは入れることよりも大切。 どうせ出すならきれいなものを出すようになるぞー。まあすずらんの香りね、みたいな。(実際のトイレの話じゃなくてね) ...
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