日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2008年05月05日(月)

友人より、とあるスピリチュアル系実践講座CDを借りたので聞きました。

ええと…。

いくつかの章に分かれてそれについて説明がされるのですが、「結婚」の章を聞いて号泣しました。まじすか。

以前、結婚がどういうものかよくわからない、と思っていて、今はそうでもなくなっていたつもりでいて、そのぼんやりと自分が持っていた結婚観をはっきりと言語化してくれて、「ああ、そういう結婚はいいなあ」と思ったら、自分の意識できていなかった思い癖に気づきました。

もうこの原因は本当に本当に幼い頃のものなのかもしれません。思い出せる限界の幼い年齢の頃からしばらく、わたしは中学生辺りの年齢から50代くらいの年齢の男性が大嫌いでした。泣いて嫌がっていました。原因は全くわかりませんが、その「嫌だ」という感覚が、今日号泣したことで出てきた感覚と同じことがわかります。

わたしは誰か男の人を見て、「嫌だ」と感ずることがあって、それが何かも忘れていながら「嫌だ」と感じたことは覚えていて、たぶんそれはそこに魅力を感ずる女性がいるような類のことだということも、なんとなく感覚ではわかっていて。
そんなよくわからない「嫌な」ものであるけれど、CDを聞いていたらふと、「知り合いのAさん(男性)はそれがない」ということに気がつきました。
「男の人だからみんなそうだって訳じゃなかったんだ」と気づいて、そうしたら、「そういえば、BさんもCさんもDさんもそういう感じじゃなかった・・・」と何人も男性の顔が出てきました。今更気づきました。
だから、わたしに「嫌だ」と感じさせるものは、「男性だからといって皆が共通で持っているものということではない」と確認できて、それまで自覚もなしに持っていたおかしな男性像がもう必要ないものとわかることができました。
そして、そのくらいわたしの内部は男女差を作っていたのだなあとも思いました。仮に自分が男性だとしても、その「嫌なこと」をしないのにね。それだけだったのにね。気づかなかったね。

これまでわたしを脅かしていた・避けたがっていたものがあったことに気づきました。
自分が好きだなと感ずる男性から、「いつ、あの嫌なものを見ることになるときが来るのだろう」「いつ、それを耐えなければいけないときが来るんだろう」という恐れ。

そしてもうひとつ気づいたのは、わたしは自然にそれを持っていない男性に近づいていけてたということ。その「嫌なもの」がなんなのか今もよくわからないし、それを恐れていたけれど、ちゃんとわたしはその「嫌なもの」を持っていない男性をわかっていたんだなあと確認できました。
本能(なのかな?)でわかっていたのに、違う無意識の部分でないものをあると思って恐れていたということ。わたしは恐れフィルタを外すだけでよかったんだということ。

参ったなあ。
でも気づけてよかった。うれしい。ありがとう。


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