歪作品
 自分の歪みに合ったものを造り出さうとしてました。
 僕には變な拘りがありましたから、材料となる樹を選んで切り出すところから始めました。
 柔らかくて削り易さうな材質の樹を見付け出して、根元に少しずつ少しずつ鋸の齒を當てて刈り出し、やっと横倒しに倒れた樹の皮を剥ぎ取ったのです。
 柔らかい材質の樹でしたから、天日干しもろくにせずに僕はすぐさま材木を彫りに掛かりました。
 僕の歪みに合ふやうに、ああでもないこうでもないと、紆餘曲折を經ながらも僕に合ふ曲線に彫り上げたのです。
 出來上がつた彫刻の歪み具合はぴったりとはいきませんでしたが、それでも今迄彫り上げたものの中では中々の出來榮えでした。
 なのに、自分でも是以上のものは彫れぬだらうと思ふ程の其の彫刻に僕は今でも滿足出來ず、他人が彫り上げた作を手元に置きたくなってしまふのです。
 あの歪み具合こそ僕が求めてゐたものではなかろうか、いやこちらこそがぴったりなのではないだらうか、とあれこれ他の作を見るうちに僕は自分が求めてゐたものが創造だつたのか完成品であったのか判らなくなって行きました。
 ただ一つ判って居るのは、他人の作品は所詮他人の作品でしかなく自分の部屋に飾ってもいつかは飽きてまた別の作品に目移りしてしまふといふことだけ。自分の作であれば氣に入らなくなればまた手を加えればいい。だけれど、他人の作は弄れば弄るだけ僕の望んだ歪みから形が外れていくのです。

 柔らかい材質のものを最初から選んでゐたのは、僕の力量では堅い木材は上手く削れぬと既に知ってゐたから。僕の手が皮が薄い所爲か力の加減の所爲か、樫のやうな堅い材質のものを削ると手の皮が剥けてしまふし、堅さを克服しやうと力任せに彫ってゐては大怪我をするのは目に見えてゐたから。
 柔らかい材質であれば、それだけ早く僕の望む形を生み出す事が可能な筈でした。

 彫刻にせよ何にせよ、行ふ人間が同じだと同じ樣な結果しか齎せ無いみたいです。
2004年03月20日(土)
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