思考過多の記録
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2003年05月01日(木) かけがえのない人

 随分前に封切られてそれなりに話題になった韓国映画「猟奇的な彼女」を、ロードショーが終わる直前の先週見た。この映画の女主人公は、可愛いルックスに似合わず、酔うと見ず知らずの大人の男にすら、年寄りに席を譲らなかったり「援助交際」をしているという理由で殴りかかる。ひょんなことからこの女と知り合い、彼女の尻拭いをさせられているうちに、彼女の魅力に引き込まれ、彼女と行動を共にするようになる。一方、彼女の方も彼を従え、時に無理を言いながら彼を振り回すうちに、自分にとって彼が必要な存在であることに気付いていく。という、言ってみればよくあるお話だ。
 けれど、この映画はなかなかよくできている。特に主人公の二人のキャラがなかなかに魅力的に描かれていることと、二人の役者がこれを生き生きと演じているので、無理なく作品の世界に入り込み、最後まで飽きずに見ることができた。



 映画を見ながら実にいろいろなことを考えた。
 この二人の組み合わせは、他人から見れば一方的に女に振り回される男、というだけのものだろう。実際に女は男に理不尽な要求をしてばかりだし、音が拒もうとすれば「殺されたいの?」の一言。ビンタ等の暴力も容赦なくお見舞いする。そして男の方は、彼女の要求をことごとく受け入れるし、殴られても反撃しない(すれば何倍にもなって返ってくるということもあるが)。
 けれど、一見我が儘で「凶暴」なだけの彼女が、実は深い悲しみを抱えていたということを、会ってすぐに彼は見抜いていた。そしておそらく、彼女の方も、相手が自分の一番深い場所と結びついている人だと直感していたに違いない。だからこそ、第一印象がお互い最悪だった二人が、一見非対称な関係性を形作りながら、結局は「ベストパートナー」として固く結ばれることになるのだろう。



 以上は僕の勝手な解釈だけれど、映画を離れれば、現実にもこういう関係性はあるんじゃないかと思う。周囲の誰もが「やめろ」と反対する相手にのめり込んでいくというパターンの場合、多くは当人の「盲目」もしくは「誤解」からきているのだが、中には周囲の誰にも分からない部分でお互いに惹かれ合っているというケースもあるのだ。
 そして、この当事者同士にしか分からない関係の場合、当事者同士もそれとは気付かない段階でも、言葉に表せない意識の奥底で、自分と響き合い、最も深いところで関係を結べるであろう相手だと言うことを、お互いが理解していることが多いと思う。
 そして、そういう関係は当然長く続く。しばしば周囲の予想に反して。



 これは本当に不思議である。殆ど動物的な「カン」と言ってもいいかも知れない。そして、これも不思議なのだが、そういう相手は見付けようと思って見付かるものでもない。ある時、不意に現れるものだ。そして何故か、その瞬間からそうだと分かっている。勿論、どちらかの一方的な思い込みであることも多いのだが。



 「猟奇的な彼女」の主人公の女は、彼を殴り、振り回すことで自分の「愛情」を伝えていた。そして彼は、それが愛情表現だと深いところで「理解」していた。だから二人は結びついた。そう思えて仕方がない。
 あの二人の関係性は、そこにしか存在し得ないものだ。そういう関係性を作れる相手は、一生のうちに何人もいないだろう。だからこそ、その関係性を結べる相手は、自分にとってはかけがえのない存在だ。
 そういう人と出会えること自体が感動的で素晴らしいのだが、本当に大変で、なおかつ幸せな時間は、出会いの後から始まる。だから僕は、「猟奇的な彼女」の二人が、これから歩むであろう人生に、たまらない愛おしさを感じるのだ。
 そして僕は、自分の人生にある「予感」を感じている。これが「盲目」による「誤解」ではないことを祈りたい。


hajime |MAILHomePage

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