思考過多の記録
DiaryINDEX|past|will
日本の漁業実習船とアメリカの原子力潜水艦がハワイ・オアフ島沖で衝突事故を起こし、実習船側に怪我人と行方不明者が出ていることが、連日大きく報道されている。現場の状況から察するに、現在発見されていない人達は、おそらく船とともに水深670メートルの海底に没しており、もはや絶望であろう。生き残った人達も、体は勿論だが、それ以上に心に大きなダメージを受けている。潜水艦と民間の船の衝突事故はこれまでにも何件も起きているのだが、その度に様々な問題が指摘されている。今回も信じられないような事実が徐々に明らかになってきて、あらためて「軍」というものの存在について考えさせられる。 軍隊の存在目的は、国民の生命と財産を守ることにあるとされる。アメリカなど所謂‘大国’の場合は、これに世界全体(または自国が所属するか、もしくは自国の利益に関係の深い地域)の秩序の維持という、より広い目的が加わる。また、日本にいるとあまり意識しない役割として、自国内の秩序の維持、平たく言えば現政権への反対勢力(や国民)の攻撃の封じ込めというのもある。これが実は結構曲者だったりするのだ。この目的を遂行しようとすれば、軍隊は自国民に対して武器を向けることになる。 潜水艦の事故で思い出されるのは、昨年夏に起きたロシアの原子力潜水艦の沈没事故である。あの時、乗組員全員が鑑内に閉じこめられた状況の中、ロシア政府は外国からの救援の申し出を頑なに拒み続け、自国の低い能力と技術のみで対応し、徒に時間を浪費した。その結果全員が死亡したわけだが、その理由はひとえにロシアが軍事機密の漏洩を恐れ、人命よりもそれを重視したからに他ならない。事故直後に救援の申し出を受け入れていれば、あるいは生存者がいたかも知れない。しかし、軍隊が守るべきは兵士の命ではなく、「国」の安全(と威信)だというわけで、どんなことがあっても他国に手出しをさせるわけにいかなかったということなのだ。つまり、少なくとも政府や軍の中枢は、始めから兵士達を救おうなどと本気で考えてはいなかったのだ。むしろ原潜もろとも海底に永久に没してくれていた方が都合がいいとすら思ったかも知れない。酷い話であるが、これが軍隊の本質である。 今回のハワイでの事故は、ロシアの事故とは大分事情が異なる。だが、同乗していた自国の民間人へのデモンストレーション(サービス)のために、本来は行うべきではない場所で危険を伴う緊急浮上を行ったこと、しかもその操作を民間人に「体験」させていたことなどが、結果的に一隻の民間船を沈めることにつながったことを考えると、人命よりも国の威信を重視する軍の体質が現れた事故だといわざるを得ない。また、原潜が自分から電波を発して周りの物体を探知するソナーを使っていなかったのも今回の事故の一因だといわれているが、それがやはり軍事的な理由(潜水艦が自分の場所を知らせることになるのを避けるため)からだということを聞くにつけ、一体軍隊は何を守るために存在しているのかと問いたくなる。 日本の自衛隊も軍隊である。80年代のある時期に出された「防衛白書」には、「自衛隊が守るべきは自由主義国家体制」とはっきり謳われていた。さすがに今はそういう露骨な表現はしていない。が、自衛隊の性質自体が変わったとは思えない。「国を守る」というときの「国」は国民の生命や財産ではなく、ましてや文化や自然などではなく、「自由主義」や「国家体制」という実態のないものだというわけである。目に見えないものを、人の命よりも優先する。それこそが軍隊なのだ。末端の兵士一人一人はそうは考えていないかも知れない。しかし、組織としての軍隊の本質はそこにある。だから僕達は、軍隊に過剰な幻想を抱かない方がいい。「国」を守るためだと判断すれば、味方である筈の彼等が、僕達の頭上に爆弾の雨を降らせるかも知れないのだ。
|