思考過多の記録
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2000年09月18日(月) 仮面の告白

 この2日分のこの文章を読んだ僕の恋人が、「私の知らないあなたの面を初めて見た。」という意味のことを言った。自分の知らない僕が、僕の中に存在していたことに、彼女は少なからぬショックを受けたらしい。確かに、彼女の知っているであろう自分と、この文章に現れている自分は、まるで別人のようだ。彼女の知っている僕、そしておそらく彼女が愛してくれているであろう僕は、ずっと優しい(自分で言うのも恥ずかしいが)。他人を非難するなど思いもよらない。物分かりがいいし、思いやりがある(という人間だと思われている、というだけの話であるが)。
 しかし、だからといって、この文章に現れた自分こそが本当の自分だ、などというつもりはない。かといって、この文章に現れた自分が、無理矢理作られたキャラクターであるというわけでもない。勿論、彼女の知っている自分だってそうだ。どちらが本当の自分で、どちらが偽物だということはいえない。人間というやつは、それほど単純ではないのである。
 よく、人は親しくない人と接するときは仮面を被り、自分一人になったとき(または最愛の人の前で)仮面を脱ぐ、などといわれる。だが、どれが仮面で、どれが素顔だなどと、誰に分かるというのだろう。仮面の下から「素顔」という名の仮面がいくつも現れるというのが本当のところではないか。その中には、意識して被っているものもあるだろう。また、自分ではそれとは知らないうちに身に着いてしまって、素顔と見紛うばかりになったものもある。自分でも一体どれだけの仮面があるのか分からない。ましてや他人に見抜ける仮面の数は、たかが知れている。
 近所の人に笑顔で挨拶をかかさなかったり、小さい子の面倒見がよかったりする少年が、ある日突然残忍な殺人に及ぶ。周囲やメディアは驚いてみせる。だが、明るくて礼儀正しい一面も、冷徹な殺人鬼の一面も、紛れもなく同じ少年の仮面である。どちらが本物の少年かと詮索することは何の意味もない。その程度の仮面なら、誰でも自分の中に持っているはずである。ただ気付かずにいるか、うまくコントロールしているかのどちらかである。
 今回僕は、たまたま意識的にこの仮面を選んで被っている。普段表に出ることが多い僕の仮面より、ずっとこれを気に入ってくれる人がいることを僕は知っていた。一方彼女のような反応が出てくることを、半ば期待し、楽しみにもしていた。心底意地の悪い男である。
 けれども、彼女が見た僕の顔も、決して嘘ではなかったのだ。何故なら彼女を見ている僕は、僕の中に確実に存在しているからだ。そいつの言葉を、僕は知っている。勿論、僕が見ている彼女の顔も、「素顔」という名の仮面にすぎないのかも知れない。でも、彼女のその仮面も、決して偽物の彼女というわけではない。もしそうならば、仮面と仮面の間でも、真のコミュニケーションは成立するということになる。
 仮面の告白を真に受けてはいけない。だが、その言葉に耳を傾ける価値はある。上手に隠したつもりでも、自分にすらコントロールできない仮面達は、ついつ「本音」を漏らしてしまうのである。


hajime |MAILHomePage

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