Diary?
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今日は乗っていたバスが交通事故に遭った。無理に割り込んできたタクシーにぶつけられてウインカーが壊れてた。そのくらいの被害で済んで何よりだ。しかし警察を呼んだりするので、そのバスはそこで運行中止。後続のバスが来るまで車内で待機、そして運転手さんに誘導されてぞろぞろと乗り換えたのだった。
考えてみると私は、今までの人生で何度か公共の交通機関で妙な目に遭っている。細かいのは忘れたけれど、ひどいのが3回あった。
1. 新大阪からお昼過ぎの新幹線に乗って、東京駅に到着したのが日付が変わった午前1時頃だった。確か大雪と架線事故とスト(まだ国鉄時代だった)が重なったんだった。
2. やはり国鉄時代、仕事で本所の方に通っていた。総武線で浅草橋まで行ってそこから地下鉄に乗り換えていたのだが、ある朝詳しい説明もなく浅草橋に停まらなかった。ええ〜っと思って外を見たら、浅草橋の駅が黒焦げになっていた。そう、それは1985年11月27日「国電同時多発ゲリラ事件」で最も派手だった、浅草橋駅焼き討ちなのであった。都内はあちこちでえらいことになっていたみたいで、浅草橋ではあわや市街戦かというくらいの緊張感だったらしいが、私はとにかく訳がわからず、両国で下車してとっても困っていた。駅は次の日には営業を再開していたけれど、煤で真っ黒になった骨組みに裸電球が吊るされていて、なんというかすごく非日常だった。戦争ってこういうのが日常になるんだろうなあとぼんやり思った。
3. 夜行バスで帰省した時に、あまりの渋滞でバスが動けなくなったらしく、途中で高速を降りてしまった。本来なら京都から兵庫寄りに北上するはずが、目が覚めるとなぜか琵琶湖が左手に見える田舎道を走っていて、そのまま日本海に抜けて逆回りルートで何とかたどり着いた。7〜8時間で着くところを15時間かかった。
私の両親の話もある。彼らが東北に旅行した折に、帰りに東京で私と晩ご飯を食べ、その後東京から寝台車で帰るというコースを取った。東京から東海道線→山陰線と乗り入れて直通で出雲まで行く夜行特急があるのだ。一晩東京に泊まって新幹線で帰れば良さそうなものだが、ほら、母が鉄オタだったから。寝台車大好き。で、翌朝起きてみたら列車は知らない所を走っていたそうだ。寝過ごしたわけではない。しかも外をよく見てみると、そこは通るはずのない大阪だった。車掌をつかまえて聞いてみたところ、山陰線の線路が土砂崩れで塞がっているので京都から大阪に向かい、大阪から福知山線で北上して山陰線に戻ると。バスならともかく、列車でそんな大胆なルート変更ってできるんだなあ。そんな珍しい体験ができて、母が大喜びだったのは言うまでもない。
とまあ、自分や家族がのりもの関係で色んな経験をしているので、こういうのはそう珍しいことではないような気がしていたけれど、人に話すとびっくりされる。やっぱり遭遇する確率が高いのだろうか。そんなような気もしてきた。どうなんだろう。
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