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2004年12月19日(日) 映画館で半日

ミニシアターのロードショーで見逃した映画は、何ヶ月か待っていればだいたい目黒シネマにやってくる。しかも二本立てで。本当に有り難い映画館だ。来週からは「地球で最後のふたり」だから、帰省前に観ておこうかな。でも「2046」と同時上映だから混むのかな。普段とは違う客層かもしれない。1月には、見逃して悔しかった「CODE46」だし、2月には「珈琲時光」と「茶の味」の嬉しい二本立て。

今日は「父、帰る」と「ぼくセザール10歳半1m39cm」。どちらもちょっと気になってた映画だったので、二本とも観る。起きたら10時過ぎで、あわてて化粧もせずに家を出て食糧を仕入れてなんとか11:05の回に間に合った。なぜそんなに焦ったかというと「父、帰る」を先に観たかったからだ。予備知識として「父、帰る」は重苦しい映画であり、「ぼくセザール〜」はほのぼのした映画であると認識していた。映画館を出てからの気分の問題として、セザールを後に持ってきた方が無難であろうと計画したのだった。

その予備知識は間違っていなかったし、どちらの映画もそれぞれに良くて、確かにほのぼのした幸せな気分で外に出たのだが。伏兵は予告編であった。セザールが始まる前の予告編タイムに、1月後半に上映される「SAW」の予告編が。あれはねえ、チラシ見ただけで気持ち悪くて、絶対観るもんかと心に決めていたのだ。しかもこれからほのぼの映画観ようって時に。しかも人がドトールで買ってきたスパイシーベーコンドックをかじっている時に。赤いソースがかかってるんだこれが。寄生虫博物館に行った直後に平気で麺類を食べる私だが、これは辛かった。

こう見えても私はスプラッタが苦手だ。子供の頃は、祖父の手による鶏解体ショー(微に入り細を穿った解説付き)を楽しんでいたのに。いつから苦手になったのか考えてみると、私の場合、いろいろと様子を表現する言葉を覚えていくとともにイメージが構成されていったように思う。例えばグロテスクという言葉を知らなかった時にはグロテスクとも思わなかったものが、言葉を知ってから後にはそれをグロテスクだと思い、さらにグロテスクという言葉がグロテスクなイメージを引き連れてこちらに跳ね返ってくるのでその言葉に打ちのめされたりする。

言葉といえば、最近は本など広く流通する印刷物も、原稿をパソコンで作成するのが一般的になっている。そのせいで印刷に至る手順が変わったのか、どうもきちんとしたプロによる校正というものがされていないと思われる。変換ミスやコピーペーストによる大量の誤植、そして最近よく見るのが送り仮名の間違いである。MS-IMEで最初に出てきた候補をそのまま使っちゃったようなのが多い。よくあるのが「話」と「話し」。厳密には間違いではないかもしれないけれど、どうも不自然で読んでて引っかかることがある。MS-IMEも元々外国製だからか、改善されたとはいえ妙な日本語だったりするのだが、実力以上に信頼されている節が見受けられる。パソコンで変換したんだから正しいだろう、なんて。私など、いまだにことえりなんて使っているものだから変換にはまったく信用がおけない。だから自分で気をつけて校正するのだ。

送り仮名といえば、生物と生き物はよく似た言葉だけれど送り仮名の有無でたいへんな違いだ。生物に至っては、セイブツと読むかナマモノと読むかでもイメージの違いは甚だしい。ナマモノばんざい!。地球外ナマモノ。セイブツですので本日中にお召し上がり下さい。ナマモノ観察教室。

今日はだらだら書いてみた。繋がりも構成も考えずに垂れ流しで書くのは気持ちがいい。映画を二本観て、ナマモノとイキモノについて考えを巡らし、だらだらと書き、この後は二胡を弾き、ちょっと晩酌をして寝る。いい休日だ。


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