やがて楽しき

日々つれづれ、ときどきSMAP。


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やがて楽しき
2003年04月05日(土) バトンを渡す。


毎年、その窓から桜並木を眺めるために行くお店。行きましたよ、今日。
ゆうべからの冷たい雨で花はほとんど散ってしまって、3分ほど残った花びらがしんなりと下を向いておりました。
これが今年の私唯一のお花見かぁ。とほほ。
でも、今までならビンボーくさく見えたかもしれない風景だけれど、
彼らが一瞬でもパッと咲いた瞬間があって、その末の姿なわけで、
そう考えれば、こういうのも悪くないなと思ったりするのでありました。
なんだか、発想が枯れてるかしらん?
ま、クサナギさんもパッ咲いてパッと散る桜がお好みのようですし (そういうことね)。

このお花見とフットケアに行った以外は、お仕事ひと筋の土曜日。
あ、かねまつで靴も買ったわね。時間が無かったので10分間で速攻お買い上げ。
あぁ、ゆっくり買物したいぞ、ちくしょー。

さて、TV STATIONの「麻生香太郎のエンタメ最前線」で、
橋部敦子さんが『僕の生きる道』を生み出した過程が紹介されております。
で、「形あるもの」である遺児ではなく、「形のないもの」である遺志が受け継がれたことが、
最終回での良い意味での裏切りだ、というようなことが述べられていて。
そうなんだよなぁ。
なんだか何度も書いているような気がするけれど、私はこの展開が本当に嬉しかったのです。

私自身は、別に確固たる主義主張があるわけでも無しに、
ただなんとなく、出産願望希薄なままに子供を持たずにいて、
ただなんとなく、もしかしたら、このまま子供を持たないのかもしれないなぁと思っていて、
つまりは自分で自分に「勝手にどうぞ」てな感じの人ゆえ論外なのですが、
でも、すごく子供が欲しいと思っているのに願いが叶わなかったり、
幼くして子供を亡くしてしまった人たちを何人も知っています。
その人たちの心中を私が推し量るのは出過ぎたことだけれど、
たとえば、子育てのヨロコビについて毎年細かい字でギッシリ書いてくる年賀状なんぞを見るたびに
(私の古い友人なんすけどね。ほんとに毎年毎年すんごい長文をプリントして送ってくるのよ)、
こういうのって、読む人によってはすごくツラい思いをするんじゃないか、と考えたりするのです。
私も実を云えば、私の人生なんだからさ!と思いつつ、両親に申し訳ないという気持ちだけは捨て切れないので、
そういう意味ではちょっと痛いんですよ、こういうのって
(もちろん、子供を持ったことによって得る喜びや、自己の成長や、その他いろいろは、
  きっと他の何事にも換えがたいことなんだろうなぁと思うし、それ自体を否定するつもりは全くないんですよ)。

そんなわけで、"愛する人の元に新しい命を残しました"で終わるお話を見たり読んだりする度に、
どんなに感動したとしても、お布団の下に小さな石コロを感じるような、割り切れない気持ちが残っていたのです。
だから、新しい命を残すことも、形あるものを残すことも無かったとしても、
そしてそれが世界を動かすような大きなものではないのだとしても、
一人の人間が自分の人生に誠実に向きあうことで何かを残していけること、
それを示してくれたことが本当に嬉しかったのですよ。

あら、なんだか長々と語ってしまったわ。きっと、明日読むと恥ずかしいわ。ま、いいや。

えっと、ここのところ、またまた不義理ばかりでスミマセン。
どうも最近、自サイト引きこもり状態で、お世話になってるサイトさんBBSにもお邪魔せず、
自分から書くメールもめっきり減ってしまいまして。
でも、みなさまからのメールや書き込みはちゃんと毎日拝見しておりますです。そして、とても嬉しいです。

あ、さっき、CDTVで昔の稲葉氏@B'zが映ったんですけど、
一瞬、すんごくクサナギさんに似てみえちゃった私って、どうよ?
でもですね、私、クサナギ氏に傾倒する直前までは、好きな男性のタイプを訊かれたら、
「この世で一番好きな顔は稲葉浩志」と答えていたような記憶があるわけなのね。そうなのね。
ふむふむ。なるほどねー(納得していいんすか?)。





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