I wanna Keep A-Rockin'
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2001年07月06日(金) 何もしなかった日。(安泰ガバメンツ篇(下))

●'95.12.17、2回目のワンマンを下北沢 SHELTER で行った。
動員は 200 人。
「入り」はまずまずだったが、今回は経費がかさみすぎた。
チラシ、ポスターに加え、先着 200 名に「おみや」の CD シングルを付けた為だ。
そうでもしないと集客出来ないと思っていたんだね。
これが「あだ」になって、Live 自体が大赤字になってしまった。
お客さんには大受けだったんだけどね。

でも、ワンマンで実績を作っても、レコード会社からの「お声」はかからなかった。

明けて '96 年1月、Bass の KAMIJI が辞めると言い出した。
以前から内外で Bass の弱さが指摘されていて、その重圧に耐えられなくなったのだろう。

代わりの Bass はすぐに決まって、Live にも穴を空けられずに済んだんだけど、新しい Bassist に、安泰流の「一致団結精神」を求めるのは無理だった。

この辺からだな、狂い出したのは。

新曲が出来ない。
Recording も、必要以上に音を重ねすぎて、収拾が付かない。
Live の動員も伸び悩んでいる。
Studio では、指揮をとる者が誰もいなくなり、練習にならない。

限界だと思った俺は、バンドの無期限活動休止を提案した。
勘がいい SHOW は、俺の気持ちを察して、「ありがとう。」と言った。

こうして '96.6.30、渋谷 ON AIR NEST での Live を最後に、バンドは実質上、解散した。

俺はあくまでも「活動休止」のつもりだったのだが、SHOW と Chris は、「PAGE が辞めたいと、泣き言を言い出した。」と陰口を吐き、すぐさま新しいバンドを結成し、俺は裏切られた気分になった。

メンバーとは、その後まる4年、一度も会わなかった。

安泰ガバメンツ篇.完

●今日の鈴木君。
CD:Keith Jarrett "The Koln Concert" 購入。
1975.1.24、ケルンで録音された Piano Solo。
Title もない即興演奏が4曲。時に優しく、時に力強く、正に Piano Solo Art の頂点。
時間がゆっくりと流れていく感じが好きだ。

終わり。


鈴木 泰裕=国分寺の大森信和 |MAILHomePage

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