I wanna Keep A-Rockin'
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2001年07月02日(月) 新・何もしなかった日。

今日も自宅で静養中。

大学4年の時からの話をしよう。

時代はバブルの真最中。就職活動も空前の売り手市場。
毎日毎日、一部上場企業から何通もパンフレットが送られてきて、何となく捨てずにいたら、押入れが、それだけで一杯になってしまった。マジな話。

同じゼミの連中なんかは、やれ証券会社だの、やれメーカーだのと、情報交換を盛んにしていた。

でも俺はと言えば、全然興味を持てなかった。
「まだまだバンドがやりたらんぜ!」って感じだったんだな。10年、20年ていうスパンで物事を考えられなかった。

サークルは世代交代で、4年生はほとんど隠居状態になるから、もう居てもしょうがない。
で、ここで初めて「外の世界」へ出ていかねば、という事を思った。

雑誌「Player」でメンバー募集したり、音楽スタジオに貼ってある「メン募」見て応募したりね。

とりあえず俺としては、鮎川さんみたいに、ギター1本持って、何処に行っても通用するギタリストになりたかった。
野球で言えば、優勝請負人、江夏豊みたいな感じかな。

とにかくいろんな人と会って、音合わせをしたよ。オーディションも色々受けたし。いちいち書いてたらキリがない位ね。

そんな中で、あちこちで人脈を作っていった結果出来たのが「安泰ガバメンツ」。大学5年、1989 年の暮れの事だ。

Vocal の SHOW と Drums の Chris は「ホコ天バンド」をやっていて、「Player」にメンバー募集の広告を出していて知り合った。
SHOW は、「Beatles のメロディーを Stones のサウンドに乗せたようなバンドがしたい。」って書いてた。

Bass の KAMIJI とは、ルースターズの大江慎也のバック・バンドのオーディションで知り合った。
奴とは、出会いからして「めんたい系」だから、趣味はバッチリだったね。

そんなこんなでスタジオに入り始めて …。

明けて 1990 年2月、大学の卒論を提出した次の日、新聞の折り込み求人広告で、データ入力のバイトを見つけた。
いよいよ、フリーター生活、バンド生活の本格的なスタートだ。

つづく。

BGM:甲斐バンド「夏の轍」


鈴木 泰裕=国分寺の大森信和 |MAILHomePage

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