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■ Inter Act“皇帝と女王と二人の王女”/アルシャードガイア
──サジッタ社T市支部、地下室にて。
暗闇の中に、金髪の女が佇んでいた。傍らには、褐色の肌に黒い髪の青年を従えている。 異界の女王イザベラと、その従者フェブラリィ。かつてブルースフィアを蹂躙せんとした気迫は、もはやない。 イザベラは重々しく閉じられた金属製の扉を見つめると、ため息をついた。 「この向こうには、いい想い出は一つもないのだけれど…」 「陛下…」 忠実な家臣であり、自らが作り出した人造生命体でもある青年の声に、かつての女王はかぶりを振った。 「未練かしらね…」 「ご自分ばかりを責めないでください。陛下は騙されたのです」 フェブラリィの言葉は優しい。恐らく、素体になった人物の性格が現れているのだろう。 だが、イザベラは答えなかった。事情はどうあれ、一つの世界が自分の手によって滅びたことは間違いないのだから。 女王の思索は、何かを叩く音で遮られた。 「失礼。お取り込み中だったかな?」 銀髪の青年が、いつの間にかすぐ傍に立っていた。整った顔立ちにきっちりとスーツを着込んだ、貴公子然とした風貌の人物。野性的な雰囲気のフェブラリィとは、ちょうど対照的な印象である。 「あなたは…?」 イザベラの言葉に、その青年は慇懃に一礼し、一枚のカードを取り出した。 「私はヴァイラス・アシュティア。インペリアル・ジオマトリクス社の者だ」 インペリアル・ジオマトリクス。 その名前は、イザベラの頭の隅に記憶されていた。 サジッタ社のT市支部を丸ごと買い取った酔狂な企業として。 「ああ、では貴方があの…」 ヴァイラスは頷き、さりげなく片手を差し出す。握手ではない。それの意味するところに気づき、イザベラはたった今使い終わったばかりのセキュリティ・キーを差し出した。 満足げに微笑んだヴァイラスに、イザベラが苦笑を向ける。 「物好きですね。そこにはもう何もない。ただのがらんどうですよ」 「がらんどうだって?」 ヴァイラスはわざとらしく目を丸くし、セキュリティ・キーを差し込む。 「とんでもない。貴女にとっては夢の跡でも、私たちにとっては貴重なサンプルだよ」 「な…」 さすがに聞きとがめたイザベラに、ヴァイラスは続けた。 「ご心配なく。貴女の夢は私たちが引き継ぐとも。それでは、ご機嫌よう」 ゴォン…。 重い音を立てて、扉は閉まる。 イザベラは一瞬呆気に取られたが、我に返ると携帯電話を取り出した。 「もしもし、私よ。“シャドウ”に繋いで」
──2日後、青龍城にて
青龍城。大袈裟な名前だが、実は単なるT市の観光名所だ。旧市街の東側、新市街の西側、つまり街のほぼ中央にある。 かつては巨大な山城であったらしいが、今はその面影はない。辺りはハイキングにおあつらえ向きな、ただの広い公園。城も原形をとどめておらず、明治以降に建て直された博物館に毛が生えた程度の施設だ。 もっとも、観光客が殺到するような場所でないからこそ地元の人間の憩いの場となっているのだけれど。
車の後部座席で、御真学園の制服を着たその少女は呟いた。 「退屈ね…」 助手席に座るほぼ同じ年頃の少女が、諭すように続けた。 「退屈なのは平和な証拠、いいことではありませんか」 「まぁね…」 昔マリーナ王女と呼ばれていた少女は、心ここにあらず、といった体であいまいに相槌を打つ。運転席と助手席、二人の従者が顔を見合わせた。 と、窓から外を眺めていた少女の顔色が一変する。 「止めて」 「えっ?」 「いいから、車止めて」 急きたてつつ、自分はダッシュボードから愛用の拳銃を取り出す。それも二丁。 「ひ、姫?」 「あたし一人で行く。ついてきちゃダメよ」 手馴れた動作でホルスターに拳銃を放り込むと、ドアを開けて外に飛び出した。
油断なく左右に視線を走らせ、辺りの様子を探る。公園にいるのは子連れの主婦か、職場を抜け出して気分転換をしているサラリーマン、それもちらほらといる程度だ。 彼女が確かにさっき見たはずの人影は、そこにはない。 と、視界の隅に気配を感じ、反対側から振り向く。1秒もかからず、両手には銃が握られている。 が、それは相手も同じだった。すぐ側まで歩み寄っていた黒いスーツの女。左右の手には赤と青、二本の光刃剣を構えている。 二丁の銃は相手の心臓に狙いをつけ。 二本の剣も相手の心臓に切先を向けている。
長い長い数秒が過ぎ、先に得物を引いたのはスーツの女だった。 「…?」 そのままきびすを返し、身振りだけで「ついてこい」というと、ふらりとその場を離れる。少女は慌てて後を追った。
その女、影のような女は近くのベンチに腰を下ろした。無造作にポケットをまさぐり、スリムメンソールを取り出すとおもむろに火をつける。 「…あんたも吸う?」 「高校生は喫煙禁止よ」 「その銃はいいわけ?」 「携帯許可は出ているわ。合法よ」 「ふーん」 自分から聞いておきながら気のない答えを返しつつ、影ははぁーっと煙を吐いた。 「…再会したら撃たれると思ってたよ、マリーナ王女」 「この間までそのつもりでしたけどね、“シャドウ”ソフィア」 そう言うと、影から少し離れたベンチに腰を下ろす。微妙な距離が、二人の微妙な関係を表わしていた。 「あなたが世間知らずの王女様のままだったら間違いなく撃ち殺していたでしょうね。でも、今のあなたを見ていると、故郷を滅ぼされた私よりよっぽど苦労してるように見える」 「ふっ」 ソフィアは笑い、地面に伸びた影が揺れた。 「あたしが苦労したかどうかってのは、あたしたちがやったことの免罪符にはならないわ」 「そうね。…でも、あなたを撃ち殺したらチハヤが悲しむわ」 ソフィアの表情から笑いが消える。 「それが本音?」 「そう」 長い沈黙の後、ソフィアは再び口を開いた。その口調からは、もう感情の揺らぎは微塵も見えない。 「じゃあ、ビジネスの話を。簡潔に用件を言うわ。 例の事件の後、サジッタ社はT市支部を閉鎖するつもりだったみたいだけど、急遽施設を丸ごと買収した会社がある」 マリーナの眉がぴくりと動いた。 「まさか。もうオクトゥムもいないんだし、あそこはもうもぬけの空でしょ?」 「あたしもそう思うけどね」 メンソールから灰がぱさりと落ちた。 「買収したのはインペリアル・ジオマトリクスって会社」 マリーナは自分の記憶をたどるように、空を見上げた。 「聞かない会社ね」 ソフィアが鼻を鳴らす。 「地図会社よ」 「地図?」 マリーナは問い返す。サジッタは玩具メーカーだ。地図会社との間に接点などあるのだろうか。 だが、ソフィアは首を振った。 「インペリアル・ジオマトリクス社ってのはガードが堅いのよ。何も調べられなかったわ。まぁ、見当はつくけど」 「インペリアル・ジオマトリクス…」 口の中で言葉を転がすように、マリーナが呟く。 はっ、と何かに気づいたように彼女は立ち上がった。 「インペリアル(帝国)、ですって!? まさか」 「そのまさか、よ」 影が吐き捨てるように言い、メンソールを無造作に投げ捨てた。 再び沈黙が流れる。先ほどの沈黙とは違う…やがて来る新たな戦いを予感しての沈黙だ。
突然ソフィアが立ち上がり、羽織っていたコートをマリーナに放り投げた。 「? なによ」 「それ着て帰りなさい。遮光コート…姿を隠せるから。この時代にはまだ、ないけど。 どうやらあたしに客人みたいだから」 少し離れた場所に、3人の人影が立っていた。3人が3人とも、きっちりと軍服を着込んでいる…日本には軍隊などないのに! マリーナが息を呑む。 「あれは…」 「早く行って。あんたがいると剣の取り回しに邪魔なのよ」 マリーナが何かを言おうとして、逡巡し、結局、ただ一言だけ口にした。 「武運を」 そしてコートを羽織り、姿を消すと…足早にその場を歩み去る。 消える足音を確かめて、ソフィアは小さくため息をついた。 「お仲間を逃がすとはなかなかお優しいね、ソフィア王女?」 軍服を着た三人の一人が嘲る。その声は随分高く、どうやらまだ少年のようだ。 「王女だったのは遠い昔の話。今のあたしはただの埋葬人」 「なるほど」 少年は残忍な笑みを浮かべた。 「では、自分の墓でも掘るがいい、埋葬人!」 そして、生身の人間には絶対にありえないスピードで地面を蹴り、飛びかかる。 「…ッ!」 虚を突かれたソフィアの反応が一瞬遅れ、少年の単分子カッターがその喉元を切り裂く──寸前に、空中から炎が降り注いだ。 少年は飛び退り、ちっ、と舌を打つ。 Tシャツとジーンズ、というラフな格好に、片手に酒瓶を下げた女が一人、からからと笑い声を上げる。 「楽しそうなことをしておるな…わしも混ぜてくれんかのう」 「遅いですよ、弥生様」 ソフィアがむくれるが、内心ほっとしているのは明らかだった。 「九尾の狐の血族か…よくよくこの町は変わり者が多いと見える」 「その筆頭はお主じゃろう、界渡りの少年」 九尾の一族の長の一人はうーん、と伸びをし、肩をポキポキと鳴らした。 「さぁて、では久しぶりに始めるとするかのう!」
2007年06月28日(木)
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