体を貫く思いがあって、 それにはさまざまな種類があって
毎日こうして生きている限り、 さまざまな種類の感情が動くのは当然の事で。
そのさまざまな体を貫く感情の仲で
「詩に出来る思い」というのはどうやら決まっているようだ。
今、現実に生きるあたしは、以前日記にも書いたとおり 仕事ガラミの関係で毎日精一杯生きているのであり、 かなり前向きに毎日乗りきっているのであり、
集団イジメなんかハッキシ言ってふきとばせているのであり。
現実はそうなんだけれども その、毎日の乗り越えている気合と思いを詩にしようとしたら
まったくと言ってイイほど何も詩として表現できなかったのであります。
がんばるぞ。とか あたしは負けない。とか カッコヨク生きてやる。とか、
そういう現実の生活の中で今のあたしの主になっている思いは、 詩で表現しようとしても全くできないのです。
なぜでしょう・・・。
今、さあ書こう。とメモ帖を開いて何も出来ない自分に呆然としました。
そこで考えたところ、冒頭でも述べたとおり 「詩として表現出来る思い」はあたしだけでなく、多くの人が 特定の感情だけなんじゃなかろうかと思ってみました。
今「ココロノコエ」に載せている自分のコトバタチをざっと見たところ。 とてもとてもなんというか前向きパワーはないのですね。
「なんか暗い」とか 「なんかちょと意味不明」とか 「マイナス思考」とか、
そういう印象を受けますね。
まぁなんというか微妙な世界ばっかりですた。
そういう微妙な世界を書きたいと前々から思っているのでそれでいいのですが。
いや、改めてあたしに前向きな詩は書けないなと今日実感したわけです。
前向きに根性いれてがんばってるのは現実世界だけで十分です。 まぁそれがなかったら
終わってますけどね。
現実でも前向きに頑張って必死で生きて、 作品としてもそれを残したら、 その作品の価値はないとあたしは思う。
「だからなに。」の世界です。
作品として言葉を残すなら、 画家の絵のように、わかる人にはわかる、わからない人には意味不明。
そういうものでいいと思います。
むしろ、多数の人に支持される作品なんてあゆみたいなもんです。 ゆずみたいなもんです。 ジャニーズみたいなもんです。
深い価値なんてないのです。
前向きでガンバロウ系の詩は最高にダサイ。 詩にする必要なんて無い。 クルものがない。
あたし自身がそう思っているから やっぱり前向きなものは書けないのでしょう。 そんなの日記で充分だ。
・・・というわけで、自分でも何を言ってるかわからなくなったところで
明日、ハリーポッター2を見に行くので 今から本を読んで予習をしたいと思います。
とにかく、ドビーをみることが楽しみです。 ドビー、最高。
我が家ではあまりにもドビーの存在がはやっており、 いつのまにか母厚子のあだ名は我が家では「ドビー」に。
意味不明な我が家です、ホント。
わかる人にしかわからなくてゴメンナサイ。
大丈夫、わたしもよくわかってない日記ですたから。 じゃ。
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