思い、願い。。
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中学受験日記。 (上の子(娘)の受験は2004年2月まで)

中学受験日記から4年数ヶ月、その間、3人目出産、起業し・・・

2002年10月24日(木) TVドラマ「サイコドクター」より

今日、夫は雨で仕事が休みになった。

録画していたビデオ、TVドラマ「サイコドクター」を昼食を取りながら水疱瘡の息子と三人で観た。


ドラマの中で。。

刑事役の西村雅彦さんの娘役、鈴木杏ちゃんが、過食症が原因で何度か道ばたで倒れ、病院に運ばれたりしていた。
娘が中2の時にお母さんが鬱病で亡くなり、父親が「弱い奴だ」とつぶやいていたのを聞いて、自分もそう思われるんじゃないかと、頑張ってきた。
父親にとっては、頭もよくしっかりした娘、過食症だと知っても、お前はやめられるな、強い子だから、というような事を言う。

お前はいい子だから、お前を信じてるよ。

そんな言葉は何も役に立たないのに。。
言いたくても本当のことが言えなくなってしまうのに。

責めてもダメ。

サイコドクターこと、竹野内豊さんが、
過食症の説明をする。

過食っていうのは、ダイエットが引き金に過ぎず、本当の原因は他にある。
私のことを見ていて欲しい、認めてもらいたい、そのために、太っているより痩せている方が受け入れられる風潮がある。人から受け入れられたい、という願いからなのだ、と。

初めて知った。

多分、そうじゃなくて過食に走る人もいるんだろうが。
食べて吐く、それは立派な病気なのは私でもわかる。

最終的に、父親は、娘の心の病を理解し、医者である竹野内豊さんの病院へ通うことになるんだけど。。

「もし、娘さんがまた過食をしたとしても、責めないであげてください。

「その時は、どう言えばいいんですか?」

「言葉はいりません。わかるでしょう。」

というやりとりがある。


私にはわからなかった。

「言葉はいらないって、ただ見守ってやるってことなの?」

夫は、
「抱きしめてやるとか、言葉じゃなくて愛情を示してやることだろ」

と言った。


私たちの娘は、あきらかに精神的に病んでいる。
そして夫は、それに向き合おうとはしない。

未だカウンセリングは受けに行ったことがないが、
何度も何度も真剣に考えて今に至っている。
もしかしたら誰もが乗り越える、そんな時期なのかもしれない、
人より少し感受性が強いだけなのかもしれない、
そう思おうとしている。

この前の横浜雙葉中学校でもそうだった。
行ってすぐ、友だちは「体力測定」がしたいと言った。
娘は、嫌だと言った。
でも、ふつーなら、友だちが行きたいと思うところであるなら、一緒につき合ってあげよう、と思うのが友だちってもんじゃないのか?
たかが「体力測定」だ。
友だちだって初めてやることばかり。
でも、やってみたい、と思った。
娘は初めてやることに抵抗がある。
ちゃんとできなかったらどうしよう、
それで何か言われたらどうしよう。
>誰もそんなこたあ気にしないのに

友だちが困っているので、
「一緒に行ってあげたら?」
と言った。
娘は、行く気がないのにわざわざ行かされたと思ったのだろう。
渋々行く形になった。

握力の次に肺活量をやった。
そしたら娘がキレた。

いきなり外に飛び出して、
測定値を書く紙をくしゃくしゃにして投げ捨てた。

もうどうしていいかわからなかった。
私がいるから?
私がいるから甘えているの?

お姉さんたちは、精一杯、初めての娘に、優しく教えてくれたはずだ。

いい加減にしてよ。
何やってるの?

受付のお姉さんもびっくりしてる。
友だちだって戸惑ってる。
友だちのお母さんだって戸惑ってる。

どうして人の気持ちが考えられないの?

娘からしたら、
「どうして私の気持ちをわかってくれないの?」
だろう。

でも、あんた一人が今の気持ちを押し殺して、
あんた一人が我慢してくれれば、
あんた一人が笑顔でいてくれれば、
誰も何も嫌な思いをしなくてすむのに。

公衆の面前で、くしゃくしゃの紙を床に投げ捨てられて、
それを拾ってる母親の私。

友だちに謝って、他の人にも笑顔振りまいて、
娘を叱り、娘のご機嫌とろうする私。

大勢の前で、「いい加減にしないさい!」ひっぱたけたら、どんなに気が楽だろう。
そのまま引きずってタクシー拾って帰ったっていい。

ドラマならそれでもよかろう。
でも、その後はどうする?
残された友だちは?

後でいくら怒ったっていい。
今は気持ちの切り替えだけ専念して、上手くとりつくろってくれないか?

それとも、母親である私が、こんな風に思うこと自体が間違っているのか?

娘も娘なりに抵抗しながらもそんな自分をなんとかしようと目の前で戦っていた。
「気持ちを切り替える。すぐ切り替える。後でいくらでも怒っていいから、今は気持ちを切り替えなさい。」
娘の耳元で呪文のようにささやく。

娘の手をひっぱり、「ごめんなさいね。」という顔をして、
くしゃくしゃの紙を広げ、
肺活量の次の背筋に並ぶ。
次は、10/20の日記にも書いた「ハイキングに行きます。」に続く。
これで機嫌を良くし、次の前屈,垂直跳び,と回る。
一足先に終わった友だちにも謝って、友だちができたところを褒め、
娘が唯一友だちより出来た前屈を褒めてやる。
友だちも明るく接してくれ、そこで娘はやっと、
「(肺活量を)もっと真剣にやっておけばよかった。」
と後悔するのだった。
実感しただけでも一歩前進と思いたい私である。

こう育ってしまったのは、受験勉強のせいじゃない。
小さい頃からの夫の態度や接し方が、父親に気に入られたい、
という意識を強めてしまった。
そしてそれを癒してやれなかった私のせいでもある。

幼い頃から父親が、
声をあらげて怒ったり、
腹を立てて家の中のものを壊したり、
今でもストレスの固まりのように存在している。
夫自身がストレスの中で壊れてしまいそうなのだ。

夫は子供を、2歳までは本当によくかわいがった。
だけど、自我が芽生え出すと、
抱っこしたり、膝の上に座らせたり、抱きしめてやったりすることなんてなかった。

子供達は父親を恐れ、でもそれでは余計父親を悲しませるだろう、と、
優しいお父さんだと思いこもうと頑張っているのだ。

頼み事も怖くてできない。
非難されるんじゃないか、バカにされるじゃないか、そう思って何も言えなかったりする。

抱きしめてやるとか、言葉じゃなくて愛情を示してやること?


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と言った。

夫には、この意味がわかっただろうか。


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