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2002年12月18日(水)
■敢えて問う −何しに、大学へ来たのか−■

 本日、Speaking のみ。


 授業内容は、プレゼン1つとパーティ。「この歳になって、そして、授業において、パーティは必要なのか?」と思いながら、時間を過ごす。なんだか、この公私混同のような感じがいただけない。


 このクラス、帰国子女やら、留学してました娘やらが大変多く、海外に行ったことがないのは、筆者だけかもしれないというメンバー構成。つまるところ、英語を話すことに関して、まるで問題のない人たちが揃っているワケだが、この中で、卒論を書いてるのは、筆者と知り合いのもう1人ぐらいのもんだろう。あとの人々は、授業がこのまま無事終わり、就職を待つのみといったところか。


 そんな押し迫った時期でも、敢えて問う。「何しに、この大学へ来たのか」と。4年近く経とうとしている中で、「学術的に」何を学んだのか、と。英米語専攻でありながら、統語論にも、意味論にも、語用論にも、言語習得論にも触れることなく、卒業していこうとすることに、何の違和感も無いんだろうか。卒業後10年経って、20年経って、「大学の時は、大した勉強せぇへんかったなぁ」と笑って、思い出を語るつもりなんだろうか。


 大学に入る時、専攻を決めて入るのだから、「それを深く学ぶ」ことが最優先されるべきでしょ。まずはサークル、まずはバイト、というコトではないはず。現実は、「単位を取って、はい、お終い」の感が強い。己が、卒論を書いているからとか、院に進むからということが関係していないワケではないが、他のメンバーは、専攻に対する意識が、まるで無いように感じられる。英語を話すことに苦労しないだけに、言語への意識が高まらないのかもしれないが。


 大学は、ある意味自由の地であり、結局は、「何をしようと、その人の勝手」である。だから、その人の大学生活について、とやかく言う必要も、資格もない。しかしながら、今自分の学んでいる語用論について、同級生で話が通じるのが、ほんの数人とは、一体どういうことなのか。そんな現実から、「大学って、何?」と、改めて疑問に思ってしまうのだ。




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