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2001年11月24日(土)
■正義の名において愛を裁くのは難しい ―浮気は存在するか―■

 最近、ある本に出会った。佐藤綾子著『ほんとうの愛と性がわかる本』という本である。本来は若い女性向けに書かれたものだが、「若い男性にも読んでもらいたい」本なんだそうで、まあ最近このネタについてもいろいろと考え事をしていた筆者には、なかなかタイムリーな本であったワケです。で、考えてたのは「浮気」について。果たして、これはいけない行為なのかということを考えておりました。


 この頃の筆者には、「浮気」とか「不倫」という単語は存在しないことになっている。これらの言葉は、ちょっと変わった恋愛のケースに対する差別用語のようなものだと思うぐらいだ。「彼は浮気をした。私は被害者で、彼は裏切り者」といった感じで、被害者のために設けられたような言葉に思える。ちなみに、筆者は、世間でいう浮気や不倫(=一人の恋人・配偶者がいる状態で、また別の異性と深い関係になる)をしたことはないが、されたことはある。
 
 
 彼女の浮気を知った当時の筆者は、そりゃもう荒れ狂ったりしたもんだが、今思うと、なぜそこまで嫉妬心を燃やしていたのだろうかと不思議に思う。自分がヘボくて、相手にとって魅力的な存在であり得なかった自分にも、そのような事態を引き起こす要因があったにも関わらず、それを認めようとはしないで、怒りや憎しみに任せて狂っていたというんだから、誠に自分勝手な話である。
 
 
 では、今、もし相手に「別に好きな人がいる」と告げられとしたら、筆者はどう反応するだろうか。おそらく「お好きなように」と、投げやりにもとれる答えをすると思う。「別の人が好きで仕方なく、そっちに行きたい」と言うのなら、行けばよい。「四分六分であなたも好きだし、別の人も好き」と言うのなら、筆者が四分の気持ちしか抱かれていなくても、交際を続けたって構わない。必ずしも好きな人が一人である必要はない。「一人とだけ付き合わないといけない」などと誰が決めつけたのか。同時に複数の人に対して行為を抱くことだって珍しくはないでしょ。そこに浮気だ不倫だと言葉を用いて、批判するのは如何なもんでしょうか。まあ、昔の筆者はそうやって批判していた人間だったんだが…。
 
 
 断っておきたいのは、この時の筆者が、別に投げやりになっているのではないというコト。筆者は、ただただ事実を受け入れることに終始してるんです。つまり、「相手が別の人を好きでいる」というそれ以下でもそれ以上でもない事実のみを受け入れようとします。そこに、異常なまでの嫉妬やら怒りを生み出す必要はない。そんなに嫉妬し怒鳴り散らす前に、自分の欠点を探し出し、欠点克服を試みる方が賢明でしょうし。それに、「好いた・惚れた」というのは、その人の完全自由な行為であって、自分が彼氏だからどうのこうのと干渉するのはおかしいと思うからこそ、「お好きなように」と言うワケです。
 
 
 こんな冷静な記述をしても、「言うは易し。無理だね。」と言いたくなる人がいるかもしれない。そう、大抵は大モメするものだし、こんなに穏やかに事が済むはずはない。しかし、筆者は一度荒れ狂った。警察の厄介になるぞってぐらいに荒れ狂ったからこそ、こんなことも書けるようになった。被害者ぶってた愚かな過去を思い返し、反省し、そして今に活かしそうとしてるワケです。負け犬であり続けるのは、あまりにもダサイですし、少しは前に進まないといけませんからな。





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