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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

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大阪から帰って来ました。
2003年09月20日(土)

夜行バスで大阪に行きました。
5000円くらいでいけます。
神経質な私はほとんど眠らず考え事をしていたので、朝、到着したときつらかったです。

まず、大阪環状線を1周した。山手線の半分くらいの時間、40分くらいでひとまわり。でもこのときは、どこがどういう地域なのかまったくわからなかったので、全部同じように見えた。

そして、新今宮駅で降りて、お寺などをまわって散歩。
四天王寺も見る。聖徳太子の建立した寺なので「日出づる処の天子」(マンガ)のことを思い出しながら見た。
それから通天閣にものぼった。なんてことなかった。

一番興味をひかれたのは、ベニヤ板で作った家がずっと並んでいたこと。どの家も凝っている。出窓がついていたり、鍵がついていたり。たいていはブルーのビニールシートで覆っているのだけど、錘をつけて飛ばないようにしたりしている。小鳥や犬を飼っている人もいる。
そんな家の並んでいるとおりに、露天というか、リサイクル品や、手作りのお手玉などを道端に並べている人がいる。
そしてカラオケ店が多い。やはりベニヤやトタンの店なのだけれど、100円で1曲歌えるような仕組みらしくで、おじさんおばさんが楽しそうに歌っている。
ここの人たちは、都会のホームレスの人とは違って、何もかもあきらめているという感じには見えなかった。
それなりに人間関係もあって、色々考えたりもしているように見える。
道を聞いたら親切に教えてくれた。
それから、詩や「戦争反対」などのビラを貼り付けている家もあった。
私はそこで詩の本を買った。(500円)山頭火に似た俳句を作ってあって、そして野宿についての話や巡礼の話が書いてあった。
なんだかものすごく考えさせられた。
彼らに100%同意できるわけでもなくて、「甘い」ということも感じてしまう。
でも私だって立派な生活をしてるわけじゃない。
私だって甘い。
そしてきっとものすごい理由がそれぞれにあるはずだ。
それから現に彼らはそこにいるのに、いない方がいいように感じているような気がする。
人間はみんな汚いし私も汚いのにそれを認めていないような気がする。
私だっていつ家をなくすかわからない。
家をなくした人たちだってきっとものすごく色々考えていて、苦しんでいるはずだ。
すごくごちゃごちゃした混乱した気持ちになった。

そして今度は南海線に乗って岸和田に行った。
この日は15日で、ちょうど岸和田だんじり祭りの日だった。
駅前の通りでまっていると、間隔を置いてだんじりがくる。それぞれ「上町」「南町」だのという文字が背中に入ったハッピを着ている。襟(でいいのか)のところには「子供会」「青年団」「若頭」「世話役」などと書いてある。子供から大人までいる。女の子は、流行っているのか編み込んだりねじり上げたりしてポニーテールにする凝った髪型をみんなしている。そしてだんじりの一番上には20代後半から30代くらいの男の人が乗っていて、この人が音頭をとっていて、ぱっと踊りのようなことをする。なんともかっこいい。そして曲がり角のところでためて、そして太鼓が鳴って、わーっと進む時のなんともいえない高揚感が気持ちいい。

しばらく見て気が済んだのでまた新今宮に戻った。すると「あいりん地区職業安定所」のところにホームレスの人の長蛇の列があった。6、70人ぐらいはいたと思う。何の列かとても気になったけれど、見には行けなかった。

次になんばに行った。様子がおかしい。警官は出ているし、ヘリコプター飛んでいる。
しばらくしてわかった。阪神優勝である。
仮装のようなことをしている人たちもたくさんいる。
道頓堀まで出たので、橋を渡ると、そこのもうひとつ隣の橋からビシャ、ビシャと何かが落ちて波紋が広がるのが見える、ああ、人が飛び込んだんだな、と皆見ていた。泳いできた人を見ると、海パンと水中メガネをしていた。
となりの戎橋まで行こうとしてみたらものすごい人で押されて前にも後にも行けなくなって、倒れたら死ぬな、と感じた。それでなんとか引き上げた。ラムちゃんの格好をした男の人なんかがポールによじ登っていた。女の子もよじ登ったりしていた。みなで阪神タイガースの歌を歌っていた。通りすがりの人が手を叩こうとするのでなんとなく手を叩いてしまった。
面白いと思って見ていたけれど、後で死者が出たと聞いてビックリしてしまった。マスコミも飛び込む映像は自粛したらしい。

夜それから長居という駅のユースホステルに泊まった。私は会員証を忘れてしまったので、そう言うと、家からFAXで保険証を送ってもらえないかというのでそうした。オーストラリアのやたら可愛い女の子たちと相部屋だった。

この日は私の誕生日だったのだが、近年稀にみる充実したいい日だったと思う。
思えば誕生日にひとりというのが初めてだったのだが、ひとりというのが決してさびしいものではないと実感した。




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