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軽犯罪か
2003年09月02日(火)

日曜に後輩に差し入れを送った。
夏合宿中のはずなので。
ちゃんと届いたかな。
わりといいパイだ。

だから許せという訳ではないが、私は大学のマンドリンサークルのメトロノームをパクッている。

これは最初は、ちょっと家で練習しようと借りていったものなのだが、返さなかったのは忘れていたというよりは「私がこれを持っていてもサークルは怒らないだろう」と思ったからだ。

私はこれ以外にもう一つ人のものを盗んだ記憶がある。
それはゲームボーイをひょいっとバッグから抜いてやったこと。
ちっとも良心が痛まなかった。
私はもっとこいつから失礼なことされてるぞ、と思ったからだった。

それともう一つ。この前まで通っていた専門学校のようなものをやめるときに、ロビーの雑誌を根こそぎとって来てやったこと。

こういうのは「欲しい」と思ってやってるのじゃなくて、ちょっとあまりにも自分がばかみたいなのでちょっと反逆してやろう、などと考えた、ちっちゃいいたずらのようなものだった。

知らない人の傘や自転車を盗むよりずっと可愛いと思うのだけど、どうだろう。

ひとのものをとった、という記憶はこの三つだけで、こういうことに至った経緯も自分ではかなりの理由があるのだけど、書くと長くなってしまう。


もしかしたら、かなり反感を持たれるかもしれない。


ただどうしても私が言いたいのが、
自分のことを大事にしてくれていない団体や個人に忠義立てしても何もいいことはない、
ということだ。


忠義立てするのが美徳のように思われることもあるだろう。忍ぶことや、波風立てないのが優しさと捉えられることもあるだろう。
戦時下の日本のように。
でもそれは短い期間のことだ。

車と自転車がぶつかるように、
車に対しては、ちょっとぐらいのいたずらをしてもいいのじゃないのかと思う。

勿論自分が車に乗っているときは注意しなくてはいけない。

でも自分が自転車のように感じられるとき、
不満をちいちゃく折り紙のようにたたんで発酵させるよりは、
ちっちゃいいたずらをして自分なりに笑って思い出にしちゃいたい。

誰かを困らせたくはないし、
いじわるもしたくない。

でも、ちょこっと何かやってやりたい。

私はばかで恥ずかしい人間だ。
それだけは確かだ。

こんなことみんなに言う必要のないこともわかってる。

いつかメトロノームを返しに行こう。






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