Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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| 2015年05月02日(土) |
これはクセナクスではない、加藤訓子だ。 |

相模湖交流センターへ、加藤訓子プロジェクトIX「クセナキス:プレアデス」を体験しに。
高速道路を使わずに国道20号線、こんなに空いてるのはGWしかない、八王子千人町ファミマで一休み、高尾山にぎわい、晴天ハイキング気分。

21世紀を拓くパーカッション体験。
ついに加藤訓子を体験した。2011年だった、たしか吉祥寺のサウンドカフェ・ズミでECMイベントを終えてのアフターアワーズで、信頼する耳の友人が「ちょっと、これ観てください」とプロジェクタに映したのがプレイズ・スティーブ・ライヒのライブ映像だった。聴くならCDではなくライブのほうだな、と、それから春日部の公演チケットを予約しては行けなかったり、現代ジャズのほうに耳が集中したりと。
相模湖でクセナキスを演るという。クセナキスを?
会場に入ると、左手にリン・スピーカーの視聴スペースになっていて、クセナキスが流れている。壁の両側には、クセナキスの作品を収録したLPレコードが30枚くらい並んでいる。おれが持っているクセナキスのレコードは3枚あった、懐かしい。うわあ、70年代の時代精神が溢れている。前衛がとっても輝いていたあの頃。60年代以前のことは知らない。
LPレコードを聴きながら、もう、これと同質な演奏は再現することはできないのだな、と、感じた。
コンサートホールに入ると、フラットな板張りに打楽器セットが置かれ、6つのスピーカーに囲まれている。
上方に幅1.5mほどの白い横断幕。タイトルが映し出されている。半透明なので後方の暗がりにも映像が透けて、二重の視覚になる。クールだ。
コンサートが始まると映像が続く。
6人のパーカッショニストで演る楽章を、全部加藤訓子が演奏して重ね録音している。映像も、合成されて6人の加藤訓子が躍動している。
ううう。楽しい!クセナキスって、こんなにポップだっけ?ディズニーランドのアトラクションのひとつにこのまま出てきてもおかしくないくらいだ。
ジスイズポップ!この躍動、
ゲンダイオンガクから開放された21世紀の表現になっている。やがてプロジェクトXにもなって、プロフェッショナル仕事の流儀にもなって、ようこそ先輩にもなって、ファミリーヒストリーにもなるはずだ。
昔、クセナキスの作品に感じた、サウンドの向こう側にジャンプするための、数学を応用しているという手がかりや、出てきたサウンドはクセナキスの意図の範囲内にあるだろうかという手探り、それら壮大な手の届かないところに意識を集中させることで襲われることとなるデモーニッシュな体験、は、あれは、時代のものだったのだ。
(もしかしたら、今もデモーニッシュなゲンダイオンガクはどこかに生きているかもしれない。生きていてほしいとは思っている)
加藤訓子はライヒ、ペルト、クセナキスと取り組んできている。ライヒもペルトも、ECMアイヒャーによって見出され、それぞれにゲンダイオンガクの風景を一変させた作曲家だ。一変させたくらいだから、クセナキスは古いほうのゲンダイオンガクのアイコンだ。ライヒも、ペルトも、クセナキスも、同じ躍動に濾過されている。ECMのコリア=バートンを聴いたのだろうか、ジャズのヴィブラフォン奏者浜田均に師事したことがあるという。加藤訓子の躍動するマレットさばきと、地続きの感覚だ、とても納得できる。
新しい体験を滋養にして育った奏者が、70年代の演奏をできる道理も必然もない。必ず、新しい表現になる。
これはクセナクスではない、加藤訓子だ。
Xenakis: Pleiades, PEAUX - So Percussion and the Meehan Perkins Duo ■
Iannis Xenakis - Pléiades (1979) ■
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