テレビ生活 - 2010年11月20日(土) 長らく、テレビと縁のない生活を送ってきた。 見ようと思えば見られるのだけど、わざわざ別室に移動して見なければいけないのが面倒で、見ないで過ごす日のほうが多かった。 最近見ていたのは、朝食時の「ゲゲゲの女房」だけだった。 「てっぱん」はなんか痛々しくて、途中でチャンネルを変えてしまう。 今日は主人公のお好み焼き屋さんの開店の日だったが、果たしてどうだったのか。たぶんうまくいかなかったんだろう。なんかそんな流れだった。 一人暮らしを始めて一番変わったのが、テレビを毎日見るようになったことだ。 最初はテレビを置かないつもりだったのだが、動くものが自分以外に何もない環境というのが予想外に寂しく、それを紛らわせるために結局買った。 32型のブラビアが、なぜだか知らないけれど目玉商品でもないのにとてつもなく安かったので、それを買った。 毎日、家にいるときは朝から晩までテレビをつけている。 結構新鮮だ。 先日は、アメトークをはじめから終わりまで初めて見た。 今週末はテレビタ感謝祭が開催されているそうで、その模様がKKTで放映されている。モッちゃんの清和文楽が意外に上手だった。美香ちゃんの天草ハイヤも艶っぽく、大変よかった。 きっと彼らは最初にこの話を受けたとき、ニュースキャスターの自分たちがなぜこのようなことをやらされるのかと当惑したことだろう、と思ったりした。 お遊びではなく、その道の達人の下に弟子入りし、芸名までいただいたりして、長期間に渡って本格的に修行を積んできたということだった。 確かに、そうだろうと思った。 でないと、上級者に混じっても遜色ないあれほどの芸を披露することなどできないと思う。 休日もないほどに練習に明け暮れたのではないか。 テレビに出ているとは言っても、ただのサラリーマンの彼らにそこまで求めるものなのか、最初から上手な人を呼んで芸を披露してもらえばいいのではないか、と、見ながら思っていた。確かに、地域民に日頃から親しまれている彼らがあえて郷土芸能に挑戦する、という点に価値があるのもわかるのだけど。 でも最終的には、郷土芸能への愛着と先人たちへの敬意を胸に抱き、前向きな気持ちで今日の舞台に臨んだのではないか。 「なんでこんなことしなきゃいけないんだろう」と思ったときがあったとしても、終わってしまえば充実感と新たな境地で満たされた気持ちだったのではないだろうか。 って本人たちの話を聞いたわけでもないし全然知らんけど想像だけで書いた。 まあテレビタ感謝祭はいいとして、何曜日の何時からどの番組が放送されているのかがだいたいわかってきて、ドラマをちゃんと連続で見る機会も出てきた。 それで今日思ったのが「Q10」はなぜ登場人物が善人ばかりでも違和感がないのかというと、たぶん人間の総数が少ないのと、ロボットがクラスメイト、というものすごい非現実をまず問答無用で見る者に押し付けることが、多少の違和感ぐらいでがたがた言わせなくする作用を持っているのだと思う。 今週は同級生の藤岡(個人的に好き)が家の事情で学校を辞めてしまうという悲しいことになってしまったのだが、失意の彼を勇気づけ、伝えられなかった「さよなら」を伝えるためにどうこう、というくだりが、まず普通はクラスでまとまって藤岡のために何かするとかいう発想にはならないはずなのに、ごく自然にそのへんをやってのけてしまうのも、クラスが多分全部で20人ぐらいだというのが、なんとなくそれでよしとしてしまう理由なのかもしれない。 毎週見ているうちに、知らない顔がいなくなってしまうのだ。 こないだの金八先生は毎週見ていたにも関わらず、わたしはクラスの面々をほとんど覚えていなかった。優等生といじめっ子を兼業していた男の子しか覚えていない。あと、広末が女囚役をやったリップスティックも確かほぼ毎週見たが、広末以外の子の個性をわたしは全然覚えていない。なんか「個性豊かなあまり社会からはみだしてしまう、根は悪いやつらじゃない集団」みたいな描き方だったように思うのだが、逆に皆そのくくりでしか描かれていないのですごいステレオタイプな人ばかりだったような気がする。ちなみに彼氏にそそのかされて援助交際をしていた子のことだけは美人だったので覚えている。 対して「Q10」は、顔つきとか髪型とか背格好とかしゃべり方とかが完璧に違う人間ばかりを寄せ集めてあり、ひとりひとりの差別化が非常にはっきりしている。「話を進めるために台本を読む」だけの人、すなわちモブキャラが、普通の学園ドラマに比べて極端に少ない。金八先生の仮面優等生みたいな個性や才能の突出した特別な人はおらず、なおかつありがちなスクールカーストをもさりげなく表現することでいくばくかのリアリティを付与することも忘れない。 普通ならスクールカーストの下位に位置するんであろう主人公の少年があんなイケメンではそもそも物語は成り立たないのだが、そこに突っ込むのはもはや野暮なのである。それもこれも、「Q10」がロボットだからだ。「いやそのしゃべり方はいくらなんでもドラマとして、ないだろう」と思っても、上記のようにふとしたところで絶妙なリアリティを混ぜ込まれながらあくまで正々堂々と押し通されると、だんだん「まあ、そういうもんなのかなあ」と思わされてしまう。何が言いたいかというとこのドラマは面白いということだ。脚本が上手に作られていると思う。 -
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