かわいそうな人 - 2010年01月10日(日) 「自分の気持ちをごまかして、それなりの相手と結婚している人もいるのよ!!」と娘に語らなければならない母を、かわいそうだと思った。 母自身がどういう生き方をしてきたのか、それについて自分でどういう評価を下しているのか、内心のところはよくわからないが、とにかく頑迷に、そういう生き方があるのだ、ということを真面目に教え諭そうとする、子離れできないまま老いてしまった母の姿は、こっけいで、悲しかった。 父は退職してから目に見えて精神的に退行しつつあるが、母も一見しっかりしているように見えて、実際はそうでもないんだな、と気付いた。 わたしは孤独に弱い。 自分のほかにも人がいる空間でないと落ち着いて生活できない。 だから、ストレスがたまることがあっても、トータルで考えると実家にいたほうがよかった。 でも、こういうことが繰り返されるのであれば、やっぱり実家にいないほうがいいのかもしれない、とも思う。 しかし一人暮らしを始めたところで母親はことあるごとに恨み言を言い、何度言ってもストーカーのごとくわたしの部屋に連絡もなく押しかけてくるだろう。前がそうだったから。 孤独が苦手ならルームシェアをしてみたらどうだろう、と思ったりもする。 しかし他人とではきっと行き違いが生じるし、と考えると下の弟を誘ってみようか、とも思うが、彼は彼でまた気が優しく、自己主張が上手にできない人なので、知らないうちに遠慮させてしまったり、苛立たせたり、それにわたしが気付かなかったりすることがきっと出てくるだろうと思う。 ときどき喧嘩したり、感情がぶつかりあったりするのは、まあしょうがないと思うのだ。 でもそれが未解決のまま降り積もり、関係そのものに軋みが生じてしまうのであれば、お互い辛いだけだもんね。 孤独を回避する、あるいはそれに耐えうる手段が見つかったら、出なければいけないのだろう。 親子間で互いに適切な距離を保ったうえで「甘え」を受け容れあっていた少し前までの関係はとても居心地が良く、ずっとこのままでいられたらどんなにいいかと思っていたけれど、そういう関係そのものがきっと不自然だったのだろう。 居心地がよいと感じていたのはわたしだけで、親のほうでは、何か我慢していたり、無理をしていたりすることがきっとあったんだと思う。 「あんたがどれだけわたしを苦しめたかわかってんの!」と母は言っていたが、うつ病になったことや、学のことで心配をたくさんかけてしまったことが、母を一層追い詰めてしまったのだろう。 わけのわからない論理でわたしを縛り付けたがるのも、多分そのへんなんだろう。 申し訳ないと思っているし、感謝もしている。 今の仕事に出会えたのも母のおかげで、これはもう感謝してもしきれない。 その上で、わたしにできることは何なのかというと、もうあまりないのだ。 たとえば旅行をプレゼントするとか料理を作るとかいう機会を作ったりしながらできる範囲で気持ちをことばにして伝えていて、それは伝わっている、と母も言う。 それでもやっぱり母は何か、我慢できないことがあるのだ。 何がどう不満なのか、わたしにはわからない。 わかれば解決できるかもしれないから、と言うのだが、母は肝心のそこのところがうまく説明できない。 それで同じことを繰り返される。 たぶん母の不満は、理屈じゃないんだろう。 早い時期に実家から離れて遠くへ旅立った友人たちのようにわたしもするべきだったのだろうけれど、それをせずに地元にこうして根を張った以上、この人とは死ぬまで付き合い続けないといけない。 関西に、今の教室より確実に収入が上がる場所が見つかるならもうそっちに引っ越したい気もします。 逃げたい。 でもそれも会社のしくみの都合上、ものっそい気をつけてやらないとうまく話が進まないだろうしなあ…。 今見てる子どもたちとせっかく仲良くなってきたところでお別れ、というのも残念なことだし。 しかしとにかく母親から逃げたい。 たぶん今回わーっと怒ったからしばらくは大丈夫だろうけど、どうせまた復活するだろうしなあ。 めんどくさい。 -
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