日記...マママ

 

 

- 2010年01月03日(日)

たまたま以前の日記を読み返す機会があり、全部ではないけれど数年前の自分を振り返った。
服の買い物で失敗したのは初めてではないけれど、前より進歩した失敗ではあるし、まあいい。ささいな問題だ。

その、なんというのか、人間としてうまくやっていけているのか、が、非常に心配だ。

社会生活はこなしている。
本部の社員さんとか、あと教室の生徒とか保護者さんとかとの関係は、たぶん、基本的にはそんなにまずくない。人によるけど。

家族とか、友人とか、恋人とか、とのラインの引き方が、やはりよくわからない。
たまたま、ものの本を読んでいて気付いたのだが、うちの母は、母親という存在が一般的に陥りがちな「子どもの人格を自分のそれと一体化して考えてしまう」傾向が強い人だ。
小さいころからその母に育てられてきたわたしも、母との関係から始まり、友人や他の大人との関係において、だいぶその感覚を引きずってきた。

原因は、それだけではないかもしれない。
もともとぶっきらぼうな性格だし、他にも思い当たる節はある。
ともあれ最近わたしは、周囲の人に「優しくする」「親切にする」ことをやめている。
今、わたしは優しくない。
非常に優しくない。
そしてそれを、特に問題に思っていない。
心の底では、自分さえよければそれでいいと思っている。

干渉されるのを激しく嫌うけれども、人に干渉することはよくある。

親しい人に誤解されることに耐えられない。

両親が日に日に年を取る。
体ではなく、精神的に弱く、もろくなっている。
そのことを負担に感じる。

記憶違いなのか、よくわからないが、中学生か高校生のころ、母の手首に大きな切り傷がついていたのを見た。
仕事を始めて、祖父母の介護も一番大変な時期で、父は単身赴任で、子どもたちは反抗期だった。
一瞬息が止まって、それからどうしたのか尋ねなければ、と思ったが、尋ねることはできなかった。
もしかしたら何でもなかったのかもしれない。

父も母も、すこしずつ、コミュニケーションが不自由になっていく。
耳とか口の機能の問題ではなく、やはり精神の変化だ。
前と比べると、感情の制御が難しいようだ。
父はすぐに怒り出すようになった。
母はちょっとしたことですぐに不安に駆られ、甲高い声でわめきだす。
特にここ数ヶ月、日に日にその傾向が強まっている。
憂鬱になる。

何が書きたいのかさっぱりわからない。
感情を整理したいだけだろう。

今日の買い物でも、母の言動がときどきおかしかった。
会話が噛み合っていなかったり、目の前の状況をまったく把握できていなかったり、とにかく気持ちが落ち着いていない。たぶん父の不調に呼応している。昔殴られていたころの、心の古傷が開くのだろう。父が少しでも怒ると、母は非常に不安定になる。

父はたぶん、まもなく呆け始める。
兆候はしっかりと表れ始めている。
母はもうすぐ仕事を辞める。
そうしたら、母も呆け始めるのだろうか。

いずれは、専門家に面倒を見てもらわなければいけなくなる。
それまでの間、父と母とわたしと下の弟、4人で平和に過ごすことはできるんだろうか。
精神の不調は伝染する。
わたしも弟も抑うつ気質だから、きっと伝染する。

先のことを考えてもしかたがない。
今わたしがしなければいけないことは、この机に合うホワイトボードとペン立てとライトを買うことだ。
その次は、確定申告の準備をしないといけない。

わたしが笑うと、父も笑う。
母も笑う。
わたしが不機嫌にしていると、父も不機嫌になる。
母はおどおどする。

ラインが引けていない。

一方的で恐縮だが、たぶんわたしはだいぶ親離れしてきている。
父や母の干渉をその都度判断しながら適切に受け容れたり排除したりして、家庭内での自分の領分を守ることができつつあると思う。
でも父と母は、たぶんわたしほどには子離れできていない。
わたしだって人間だ。
うれしいときもあれば、落ち込むときもある。
それにいちいち振り回されないでほしい。

今日は母の干渉を振り切れなかった。
なぜだろう。
場のムードに支配されていた?
それもある。
けれど、たぶん、一番は「老い」だ。
老いた母の願いを叶えてあげなければ、と、とっさに思ったのだ。
しかし同時にそんな自分を腹立たしく思い、母に心無い対応をしてしまった。

ということは、やはり、わたしは親切な人間ではない。
優しい人間でもない。

私の心は氷のように冷徹だ。
本当は、何もかも、どうでもいい。

いや、そのまた本当はどうでもよくないのだ。
どうでもよくないのに、どうでもいい、と書くところがひどいところだ。

生理前独特のこの沈下も一晩経てばどうせ忘れるのだけど、それこそが本音、というか、本当に書きたいこと、訴えたいことなんじゃないか、という気がする。みんな死んじゃえばいいのに、って思ってるよ。きっとわたし。世間ではこういうのを中二病と呼ぶのでしょうが、これが本当に年代による一時的な心理状態なら、卒業できないことを揶揄するのなら、治し方を教えてほしいものだ。苦労が足りんとだろうかね。社会での苦労が。難しい仕事とか大変な仕事をたくさんすれば、治るとかね。何が欠けているのか。いつも真正面から物事に対峙せず、するりとかわすのだ。いいところまできて、ぬるっと体をよじるのだ。それが生きていく術だと思っている。だからあんまり成長していないのだ。

学を死なせて、今、結果として、ますます人に冷たく、無関心になった。
いいとか悪いの前に、それが現実だ。
人と関わるのを恐れている。
わたしが今一番信頼している人は陽一君だけど、彼のことを、わたしはかなり傷つけてきたと思う。
わたしを心配し、気にかけている老いた両親のことも、そうだ。
親離れの過程でどうしても軋轢は生じるけれども、それを抜きにしても、わたしは彼らをずいぶんないがしろにしている。
「親を『利用』するんだよ。そのぐらいに考えておくのもいいんだよ。」
と心療内科の先生は言ったが、そのように考え方を柔軟にしておくことで生きやすくなるということだ。
で、文字通りいろいろと『利用』しているわけだが、その結果、今わたしは非常に不愉快だ。自分のそのような人間性に心底嫌悪感を抱く。
老いた両親は、子どもに精神的に見捨てられる不安を抱えている。
自分をしっかりと認めてほしいのだと思う。かわいそうだと思う。
しかし、わたしはラインは超えたくない。
これは、誰に対しても同じだ。
ラインを超えたくないし、超えて入って来てほしくもない。
「気分変調性障害」の人は、孤独は苦手らしく、わたしも孤独は辛い。ストレスになる。だからつかず離れず、誰かにそばにいてほしいとは願う。しかし個人の領域を犯されるのは耐えられない。絶対にいやだ。超ヤマアラシ。何が言いたいのかいよいよわからなくなってきている。もうしらん。寝る。




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