日記...マママ

 

 

「愛をください」 - 2009年01月25日(日)

次の火曜に私立専願を受験する中3の面倒を見る。
まったくの無償で、週末を丸二日取られることとなった。
譲りすぎたわたしも悪いのだけど、次第に遠慮がなくなっていく教え子を見ると複雑な気持ちにならざるを得なかった。人の厚意ってもんがわかってないな、こいつは、と思った。我が子ならこういうときにぴしゃりと釘を刺すことができるのだろうけど、お月謝をいただいてお預かりしているよその子だけに、こういう場合の言い方が難しいと思った。たぶんわたしのそのようなもやもやした気持ちも言動に出てしまったのだろう。今頃「先生、仮定と結論って何ですか?」とかいうレベルのことをのんきに尋ねてきた彼女に半ばあきれながら概要を説明していると、彼女がふいにぐすぐすと鼻をすすりはじめた。あ、まずいな、と思う間もなく、彼女はしくしくと泣き出した。

たぶん本人も、自分がいかに基本を理解できていないかということがここ数日で初めて実感できたのだろう。
入試の過去問が手に入ったのはいつ?と尋ねると、2年前、と言っていた。
それなら志望校を決めた時点ですぐ解き始めるべきだったね、と言うと無言でうなずいていた。わたしは昨年の夏から何度も言っていた。過去問はもう持ってるの?持ってるのよね。今から解かないと間に合わないよ。次の教室日に必ず持っておいで。プリントが終わったら過去問を解く時間を取るから。しかし彼女は持ってこなかった。きっと年が明けるまで手を触れたこともなかったのだろう。先日初めて、彼女は過去問の束をそのまま持ってきた。知識は頭に入っている。それをアウトプットするのにまだ慣れていないというだけのことだ。しかし本番での出来具合を分けるのはそのアウトプットの力だったりもする。彼女はまだ入試の問題形式に慣れていない。今まで解いてこなかったからだ。冷たい言い方をすれば自業自得だ。家庭教師もつけているし、別の進学塾の冬期講習にも通ったそうだ。きっと同じことをほうぼうから言われていたに違いない。それなのに彼女は従わなかった。そのツケが今になってきているというだけのことなのだ。

そして本来ならば、わたしは休日をまるまる割いてまでそんな彼女に無償で付き合う義理はないはずだ。
努力不足を悔いながらも、今できることを自力で精一杯やるのが筋だとわたしは思う。

ではなぜ彼女に大事な大事な週末を明け渡したのかというと、先日、別の先生からたまたま幼少期の彼女のことを聞いたからだと思う。
昔、まだ小学校にも上がる前のころ、彼女はその先生の教室に通っていたらしい。
明らかに母親との関係がおかしく、たいへん情緒不安定な扱いづらい子どもだったそうだ。

私は彼女が中学1年生のときに初めて出会った。
無気力な子だな、というのが第一印象だった。
小さな声で何かぼそぼそ言うので耳を傾けると

「やりたくなーい…。ここに来るのいやだ…。」

と、投げやりにつぶやいている。

決して反抗しているわけではなく、それを言って何か状況を変えようとしているわけでもないのはすぐにわかった。
ただ思ったことを言っているだけなのだ。
そして、そうしてただ何の狙いもなく本音を聞かせることが、わたしの立場にいる人間に対して失礼であるということに、まったく想像が及んでいないのだ。

彼女の根幹をなすのはこの無気力と情緒の乏しさで、情緒が乏しいから他者への共感能力に欠けていて、時折、何の悪気もなくそういうことをやってしまう。
今回の補習も自分から頼んでおいて、約束の時間より1時間も寝坊して来たりする。
わたしが阿蘇の温泉に行く予定だったのもあきらめて、つらい身体を引きずってやっとの思いで教室まで来てやったというのに!

かように周囲がすべて保護者であり、自己はいっさい自己のことについて責任を引き受けない、という幼児期のコミュニケーションの取り方をいまだに引きずっているところがある。

それはなぜかというと、きっと、幼児期に十分甘えることができなかったからだと思う。十分に甘えを受け容れてもらえなかった人は、満足するまで同じ態度を取り続ける。きっと、ずっと、お母さんにもっと甘えたくて、でも受け容れてもらえなくて、ここまできたんだと、今の母娘関係からもそれが見て取れるから、仮定と結論がわからずに目の前で泣きじゃくる彼女に対してわたしは「泣きたいのはこっちだよ、トホホ」と途方に暮れながらも、同情の念を禁じ得なかったりするのだった。愛情に飢えている人はがんばれない。がんばれるのは、何だかんだ言っても一定の愛情に恵まれている人だけだ。そう思う。本当の飢餓状態にある人は、がんばれない。放任と甘やかしは等しく罪だと思う。子どもが真っ当な大人になるために必要なしつけを施していない、という点で何も変わらないからだ。「悪いのは子どもではない」と創立者は言ったそうだが、悪いのは彼女ではない。ついでに彼女のお母さんも悪くないし、そのお母さんも悪くないし、誰も悪くはないのだ。きっと。みんな自分の思うように、やるべきだと思うことをやってきただけなのだ。その「やるべき」と思わされていたことが間違いだったのかもしれないけれど、間違いに気付くかどうかなんて、ほとんど運だ。
だから、彼女が無気力なのも、受験生にあるまじき甘ったれなのも、それ自体はそんなに悪いことじゃない。

そんな彼女が今回初めて「お願いします」と自分から言ってきたのだから、応じないわけにもいかなかったのだ。
1時間遅刻してきやがったけど。


しばらく一人にして泣かせてから、背中をさすって「大丈夫、絶対大丈夫だよ」と言い続けると少しずつ落ち着いてきた。
実際、大丈夫なのだ。
仮定と結論がわからない彼女でも十分に受かるぐらいの、そんな私立高校を選択した、というか、させられたのだから。
その選択に対しても「本当は公立がよかった」とかぶつぶつ言うので、さすがにこれはもう何も言うまいと思って黙っていたが、自分の人生の責任を自分で引き受けることを知らない、というこの悲劇を彼女は今後、自分で打開できるのだろうか、それとも。たぶんこれも深い意味はなくて、ただ言ってみたかっただけなんだろうと思うけど。
わたしが彼女と関われるのもあと1ヶ月あるかないかぐらいの期間だけど、自分の人生を引き受けられない人はかっこ悪いよ、ということを話す機会があるといいね。今すぐ響かなくても、もっと年を取ってから、思い出してくれるといいな、と思う。





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