おめでとうおめでとう - 2009年01月18日(日) 30歳になりました。 意外なのが、何かこう、わくわくする気持ちがあることだ。 「大人」になったんだなあ、という気がする。 現代社会では、精神的に本当の意味で「大人」になるのって、このぐらいの年なんじゃないだろうか、と思っている。 特にいわゆる谷間の世代であるわたしたちの中には、このぐらいになってようやく社会の中に自分の居場所を獲得できる人も少なくないんじゃないだろうか、とか。 自分がそうだから、勝手に拡大解釈してるだけなのかもしれんけど。 この10日間ほど、我が家は身勝手な親戚に振り回されていた。 わたしには直接の被害はなかったのだけど父親がいろいろと大変な目に遭ってしまい、しかし父は自分と家族を守るために身を粉にして奔走し、結果として何とか今のところは丸く収まった。 信頼していた人間にだまされ、裏切られることの絶望感とか、そういう人間といえども血縁者を心情的に切り捨てるときの良心の呵責とか、本当に父の心労を思うと想像に余りある。 とここまで書くと親思いの孝行娘のようだけど問題はここからで、父は慢性的に他者からの承認に飢えている人だ。幼いころ親から十分に愛されなかった体験が父の人格形成に与えた影響も大きいのだろうけど、まあとにかく他者からの承認を渇望している。 父は、今回の騒動で自分がどれだけがんばったか、どんなに苦労したか、そして、どんなに今回関わった親族が邪悪で卑怯で憎むべき存在であるか、繰り返し語る。壊れたカセットテープのように一日中語り続ける。そばにいるといつまでも語っている。用事があって玄関に出ると玄関まで追ってきて語り続ける。マシンガンそのものである。 母がもはや満身創痍だ。 そりゃ感謝はしているし、父の存在あっての我が家だ。それは理解している。 しかし、だからと言ってマシンガンの前に一日中体をさらし続けることはできない。 が、父はその現実に目を向けることができない。 わたしたちが別の話をしようとすると烈火のごとく怒って暴れまわる。 母にひそかに話し相手のバトンタッチを申し出て「部屋に戻りなよ」と言うのに、もう何か一種の共依存に陥っているかのように死んだ魚のような目をして逃げ切れない母。 母の辛気臭い顔を見るたびにこちらもやりきれない気分になる。 父の血を色濃く受け継いでいるわたしには理解できる。 父が欲しいのは「母親からの承認」なのだ。 母が父に、実の母親のごとく存在そのものを包み込み、父の苦しみを理解してやることを父は求めているのだ。 しかし母にその包容力はない。 母は父のそういう部分を拒絶する。 家族のことを悪く言うのも嫌う。 そうすると父は、自分の気持ちを理解して欲しくて、もっとがんばって話す。 母は「また同じ話か」とうんざりする。 父ががんばる。 この繰り返しだ。 この螺旋についても何度か母には話した。母が一度、心の底から父をねぎらい、受け止めてやれば、多分それで満足するはずだ、と。 しかし、母はそれに成功しない。 必ず途中でどちらかの我慢の糸が切れる。 大げんかになる。 すべて台無しになる。 だから、わたしが母の代わりに話を聞いてやるしかないのだ。 家に住ませてもらっている以上、このくらいは仕方ないと思っている。 外に出れば、楽しいことがたくさんある。だからまあやっていけると思うのだが、こういうことがあるとやっぱり「結婚なんてするもんじゃない」と思ったりもする。 なんでこんなろくでもない男と結婚したの、お母さん。 -
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