日記...マママ

 

 

治安がよくない - 2007年11月06日(火)

今日の教室については書かなければならないことがいくつかある。
まず、スタッフさんの意識の低さ。
あんなに生徒がはけて空いている時間帯に、生徒の英語音読を、採点しながら片手間に聞いている。
何年この仕事やってんだ。
別の人は、逆にピークの時間帯に、ひとつのことに拘泥して手が止まってしまっている。
こだわるのはとても大切なことだ。
大切なことなのだが、状況を見て自分がどうすべきかを判断する力に著しく欠けている。

ふたりそれぞれに、こちらの望む動きを再度伝える。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ 」
どこかが足りないのだろうな。わたしには。
たぶん最後の「ほめてや」るところなのだろう。

それと、教室のポスターに爪先かなにかで「バカ」とぐいぐい書いた後がある。
トイレのジェルジェムがぶちぶちちぎられている。
さらにドアにはポケモンのシールが貼られている。

何かいろいろ、おかしくなってきている。
ジェルジェムはアヒルのかたちのものをいくつか貼っていたのだが、すべて首のところでちぎられており、たまたまちぎりやすかっただけなのかもしれないが、なんとなく病的なものを感じなくもない。

地区担さんに相談すると、教室の発展にそれは早めに止めておかなければならない、ということを言われた。確かにその通りだと思う。こちらがそのままで許してはおかない、ということをPRするだけでもだいぶ違うらしい。貼り紙の掲示をすすめられた。実はそういうのがわたしは一番嫌いで、無料物品でもああせよこうせよ、あるいはああするなこうするな、といった標語ポスターがわんさかとあるのだが、意識的にそれらを排除してきていた。そういうのを貼れば貼るほど問題が顕在化してそちらに目を注がせてしまう気がするのだ。先日「差別をなくそう」とかって県内各地から小学生がお城に大集合してデモ行進のようなことをやっていた。差別はなくすべきだ。その主張は大いに結構。しかしわたしが真っ先に思ったのは「これをわたしが子どもの頃にやらされ…いや、やっていたとしたら、差別されてきた人たちのことを闇雲に特別視してしまうかもしれない。」ということだった。特別視とは、一歩距離を置いて見てしまう、ということで、それは差別とほぼ同義なのではないか。逆に、知識としてそういう歴史があることは知っていても子ども時代にそこまでインパクトのある(デモ行進とか)経験がなければ、そのようなゆがんだ認識は持たないであろう。今のわたしはたぶん後者で、友人の中に障害者やいわゆる「部落」出身の人がいてももちろん毛嫌いするようなことはないし、逆に同情したり、必要以上にやさしくしたりもしない。実際障害を持っている友人とも付き合いがあるが、わたしはべつに彼女が障害を持っているからという理由では特別にやさしくしたりはしないし、友人もそれを望んではいない。被差別者が差別者に一番望むのはたぶん「普通と同じに扱ってほしい」ということで、「特別扱いしてほしい」ということではない。子どもの頃にへんにそちらに意識を向かせてしまうと、誤った特別視につながってしまう気がする。

ひねくれた講釈はこのくらいにして、とにかく教室の治安をよくしなければならない。
とりあえずジェルジェムは捨てて、シールははがして台紙に戻し(台紙もそこにいっしょに置き捨ててあったので。)わたしの机の上に、見えるように置いておくことにした。そうして反応を見てみたい。

ポスターについては、今後それを使わないのは当然としても、果たして貼り紙をしておくべきか。やだなあ。しばらくしないでおいてみようか。そうしてみよう。うん。
正直、誰がやったのか見当がつかない。
やりそうもない子はいくらでも思い浮かぶが、そういうことをやりそうな子が、本当に思い浮かばないのだ。みんないい子だもん。本当に。母の教室は人数が多い分いろいろな個性の子どもが来ているが、うちは本当に、ありがたいことに、言うことをきかない子や反抗的な子というのは皆無だ。だからわからない。何かわたしが追い詰めているようなことがあるのなら、と思うと気になってしょうがない。


-




My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail Home