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2008年07月06日(日)
おばあちゃん

わたしのおばあちゃんは、98才になる

もう3年ぶりになるだろうか。
いま、このときに、里帰りすることとなった。ちょっと前まで、おばあちゃんは調子を崩していた。心配したのもあるし、あっという間に3年間、墓参りさえしていなかったことを、ずっと気にしていたところもあって。この機会にと。

3年間ぶりにあうおばあちゃんは、前回より元気がなくなっていた。その変化にびっくりした。歩くのもままならない感じで。でも、笑顔で迎えてくれた。耳には大きな補聴器をつけ、そして、テレビは、最大の音量で。(遠く離れた駐車場からも音声が聞こえるくらい)

だから、私の話したことは、あまり聞こえない。
テーブルの上には、大きなメモ帳がたくさんあって、いろいろな文字が書かれていた。そう、筆談するためのもの。
このことも、ショックで。


「いくつになったん」と聞かれると、エンピツで「34」と書く。それを見て、「まだそんなに若いんね!」といった具合で。

おばあちゃんの姿を、カメラにおさめる。そして、おばあちゃんといっしょに写真におさまる。

おばあちゃんの言葉。
いつも、明るくやさしい。いまも変わっていない。ただ、言葉の端々に、「最後」とか「寂しい」とか・・・弱音の言葉が並ぶ。

ただ、昔の楽しい思い出のことはいろいろ覚えてて、そのことを僕に話してくれた。

「これで逢えるのも最後かねぇ。」僕は、「そんなことはないから、また来るから」


「お嫁さんと子供をみて死にたいよ・・・」

僕は言葉に詰まった。そして目に涙があふれた。おばあちゃんも、泣いていた。

おばあちゃん孝行は、なにもできないどころか、親不孝ならぬ、おばあちゃん不孝をしている、いや、していたのだ。

確かに、たびたびここへ訪れることが出来ない理由もある。でも、僕にとってはあっというまの年月も、おばあちゃんに対して、申し訳ない気持ちにさせられる。罪悪感というか。


ただただ、ずっと元気でいてほしい。それを願う。
きょうの、おばあちゃんのわずかな笑顔が、その言葉が、
僕は一生忘れられないような気がする。

帰るとき、足が悪いのに、ゆっくり窓際まで歩いて、その窓からずっとずっとずっと、手を振っていた。力を振り絞った、やさしい笑顔で。それは、はるか遠くに止めている車に乗っても、おばあちゃんの姿が遠くにみえていた。ずっとずっと手を振り続けながら

なんともいえない、気持ちに再び襲われた。
また、涙してしまった。


帰り道に、お墓参りに立ち寄った。
おじいちゃんにも、ずっとご無沙汰してて、本当に悪かったねと。そう伝えた。もうすぐ、原爆の日ですね。おじいちゃんが僕に話してくれた、その運命の日のことは、ずっと忘れることないのですよ。



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
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