コバルトの静かな広島生活ブログ  メトロポリタンカメラ  ツイッター  広島カフェ案内  コバルトのプロフィール・サイトの情報  メール  静かな広島生活掲示板


前のページへ月別日記リスト過去の日記リスト
2006年10月30日(月)
死なないことは、がんばらない勇気

この数日、帰宅して、夜のニュースや、早朝のニュースで流れてくるVTRに見ていると、とても胃が痛くなって、冗談抜きで、気分が悪くなる。

一番、子供たちの模範にならなくちゃならない教育者が、平気でうそをついたり、あからさまに事実を隠蔽しようとしている。校長先生が部下をいじめて、自殺に追いやったり、遺書や両親や、生徒からも、はっきりいじめがあったといってるのに、「いじめはない」と開き直る校長や教師がいたり。いじめた子がなくなった後も、その子に対し暴言を吐く、いじめた側の子供がいたり

なにが正しいのやら。わけがわからなくなる。
だれを模範にしていいのやら・・・
(ただ、物事には、裏があるから、一概に判断はできない。物事の善悪を言い切るとこは、簡単ではないからね)

正直モノが馬鹿を見る。
まじめなで、責任感の強い人が、自ら命を絶たなくちゃならないなんて。

そういう人たちを追い込んだ人は、何も罪に問われず、いいのがれして、うそをつく。なにごともなかったことにしようとする。自分の立場を守ろうとする

そういうのは、どう考えてもおかしい。
わかっているけれど、こうした矛盾がたくさん成り立ってるからこそ、いまの日本の社会が成り立っているのも、また事実。

死にたいと思う気持ちは、僕もわかる部分が大きい。
(自分だって、死にたいと思う事もあったからさ)
限られた世界の中(会社や学校)で、これでもかこれでもかと、いじめや暴言など受けると、まっとうな精神状態になれなくなる。じゃあ、この世界から離れればいいのにと思うんだけれど、そんな単純なことさえ、思考できなくなる。どんどん自分で自分を追い詰めることになる。(まじめで責任感がつよくやさしいがゆえに)どうにもならなくなる。きっと、校長先生らは、こうしたこころの状態のことを理解できないのでしょう。想像力が乏しい。


周りの、悪い人たちに、苦しさをわかってもらいたい。非を認めてほしい。自分ができうる罪を与えたい・・・そういう気持ちも、命を絶つ理由のひとつってあると思います。

ただ、死を選択しても、最愛の人が悲しむだけ。
悪い人は、たとえ、人ひとりの命が失われたとしても、変わりはしないし、なにも罰を与えることができないことが多い

がんばらない勇気を持ってほしい。
死を選ぶ勇気があるのならば、がんばらないで、自分から、そういう世界を見切って、去ることをしましょうよ。人生の中のほんのちょっとの期間。ちょっとの世界なのだから。悪い人たちのために、自分が苦しむことはない。

って、いまの自分は、こういえますが、実際はそんな簡単なことじゃないんですよね。当事者からすれば・・・だけど、そういってあげられる人が、ひとり、そばにいるだけで、どんなときでも自分の味方になってくれる人がいるだけで、まったく違うと思うんです。



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
ホームページ⇒http://www.geocities.jp/cobaltblue21jp/

文筆依頼、感想などは、メールでよろしくお願いします
メール⇒こちら




My追加