Land of Riches


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 2018年11月03日(土)   力が欲しいか 

永青文庫副館長のRTで存在を知り(京都で行った茶道資料館もそうだった)
行くかどうかずっと迷っていたMOA美術館ですが、とうらぶ映画が本能寺だと
発覚したのもあって、展示最終日イブの今日、早起きできたのもあって行ってきました。

展示テーマは「信長とクアトロ・ラガッツィ 桃山の夢と幻」+
「杉本博司と天正少年使節が見たヨーロッパ」の二本立て。
もともとは昨年、MOA美術館が改修した際に携わったのが杉本さんの主催団体。
NWで行った展示を日本で行うに際し、南蛮と言えば…で信長関係が追加されたのです。

世界救世教の創立者が美には魂を浄化する力があると考えたために集められた
コレクションには国外流出を阻止した国宝の屏風や壺も含まれます。
宗教団体が国宝を所有している例はちょくちょくあるんですけど、
当日券1600円(私は東海バスの案内所で前売り料金で買いました)するだけあり、
入るとまずエスカレーター7つ昇ると案内されます。帰宅してから知ったのですが、
周囲の自然を破壊しないために山を崩して通路を造った後、埋め戻しをしたんだとか。

ドラマの信長の部屋にありそうな世界地図の屏風などはまだ分かるんですが
(海外の書籍にも安土はパラダイスofノブナガって書かれてたり…凄い)
信長の人となりを説明するのに、肖像画複数、名物級の茶器どっさり、
その茶器を収集できて喜ぶ信長記の原本に、20通も現存してない直筆書状と
日本中から借りてくる品物の量が半端ないのが流石宗教団体というか…。

特に茶器は初花(展示期間終了してて見てない)、新田、松花、金花と
一つでも展覧会の目玉になる大名物を惜しげもなく並べるという贅沢さ。
実は徳ミュの目玉所蔵物でもある新田(このお代としてか徳ミュには
MOA美術館から借りたものが展示されてい)は別の展覧会でも見ましたけど、
展示の高さが低いからなのか、あるいは建物の耐震に自信があるのか分かりませんが、
畳の上に紫の布を敷き、その上に置いただけでワイヤー固定がなくて驚きました。

これ以外もMOA美術館、静岡にある割に、他の美術館なら確実に
ワイヤー固定されてそうな陶器系があんまりされてなくて驚きました。
さすがに大きいもの、背の高いものはしてましたけれども。
(目玉収蔵物である仁青の藤柄の壺はされてなかった…自信強い…)

あと本能寺で焼けて変色した茶入を、味があると言ってむしろ愛用したという
古田織部は本当に“へうげもの”だと思いました。明らかに他とは色が違いました。

お値段に偽りなしの名品揃い(キリスト教信仰の品として、フェリペ2世界像から
隠れキリシタンの銅版画、貴重な南蛮関係の原書、キューハクから借りてきた
“花鳥蒔絵螺鈿聖龕”などが並んでました。とうらぶ初年度にあった
江雪の展示の際、綺麗な藤柄のしおりだとTLで回ってきたステンドグラスっぽい
ブックマークを買ったのですが、実は聖母子像を入れた観音開きの入れ物の
向かって左側の扉に描かれた螺旋細工だったんですね…まさか3年越しで
この目で見ることになるとは。中央の絵はヨーロッパ産ですが、
藤は日本固有らしいので、外側は日本で作られたものだと分かります)でしたが、
どんな展示物よりも圧倒的にすさまじかったのは、展示ケースのガラス。

先述のリニューアルに際して導入された低反射ガラスは映り込みがほぼなく、
パッと見てガラスの存在を知覚できない、美術館とは思えぬ景色をもたらす素材です。
実に素晴らしいのですが、知覚できないゆえに距離感取れない人が続出。
今日も頭をぶつけている人がいました。ぶつかった後に化粧や皮脂の跡が
ついてしまうんですけど、むしろこれがあって初めてガラスの存在に気づけるという。
ガラスに注意キャプションが展示の脇に置かれるなど、もはや本末転倒と化してました。

ガラス越しに見るのを嘆く人は多いのですが、まさかガラスを知覚できないのが
ここまで危険だとは。人間の視覚のいい加減さ?を感じました。

駅に戻り、しらすと鯵の合わせ丼を食べ、タオルを落とすボーイスカウトや
缶ビール+焼き蒲鉾でプチ呑みする大人…と何でもありになっている
足湯「家康の湯」を楽しみ、来宮神社の樹齢2000年+1300年の大楠を見て帰りました。
周りに植物を植え、急に大楠が見える配置に近年整備されただけあってか、
2000年ものの楠の周りだけ空気がひんやりしているように感じました。
三日月宗近は鋼の限界にも近い1000年現存しているモノですが、その倍ですよ。
鶴岡八幡の大木のように、自然の前に屈する時は屈するのが大木なので、
2000年あって、今も生きているというのは、それだけでとても尊いことなのです。

それにしても最近は神社の境内にカフェを建てるのが流行っているのでしょうか?
亀有の香取神社や平安神宮(2.5Dカフェはここ)などでも見てるので気になります。
神社もお金集めるの大変だと、実家で賽銭箱の中身報告聞いて思いましたが…。

日本は資本主義国家なので、金こそが戦闘力となります。どんな綺麗事よりも金。
「誠意は言葉ではなく金額」(by福留さん)です。今日はたまたま、
石川の倶利伽羅寺とキョーハクで揃ってトークイベントがあって、
そのレポートが流れてきたんですけど……本業で得た財を持ち出している
大倶利伽羅の主と、空輸できなくて北海道の刀の出展を諦めた国立博物館の研究員では
年齢以上に立場…ぶっちゃければ“戦闘力”が違い過ぎて、キョーハクの展示を
disられても(財団のボスはdisではないと言っていたようですが、
でも遠回しにはdisではあると思う)どうしようもないんじゃないかと思ったり。
税金で運営されている施設には制約が多そうだなと。市のレベルなら尚更でしょう。

もともと展覧会は保存と周知という両立しない活動を強引に妥協させて成立するもの。
人の命には限りがあり、美術品は人の命より長く在るゆえに、一個人の
保存に対する哲学だけでは維持されない宿命を背負っています。

正解へのアプローチを模索するには戦闘力という資金が必要。
でも、無い袖は振れません。それが現実。過酷だけれども。
お金があるところと無いところをただの観客は比較しうる…それは恵まれているのでしょう。

私は、私が正しいと信じるものを探す旅に出る……出たい。


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