Land of Riches


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 2018年01月07日(日)   There is no darkness but ignorance. 

暗闇は無く、無知があるのみ―と、あのポプテピピック公式HPには書いてあるそうな(挨拶)
今朝ニコ動の配信でアニメ1回見ましたけど、人類には早過ぎましたね。
あと、どこかの眼鏡好き漫画家の作品と同じで、膨大にパロディが詰め込んであるから、
物凄い多方面の元ネタ知識が求められる系らしく、そういうのは少し苦手…。

今日は新年早々、ブックオフの本棚最上段から抜き取ろうと二段脚立に乗って
落ちるというアクシデントに見舞われ、左足首に傷を作っちゃいました。
まだ刀ステライビュの帰り、六本木の何もないところでいきなり転んで作った
左膝の傷すら治ってないのに…自然治癒力は年々著しく減少しています。

週末に福岡…でいくつか神社に行かなければならないため、いつもならまだまだ
初詣を避けるのですが、成田山、行ってきました。柏から成田って近いんですかね。
船山さんが昔、週6で通っていたから、遠いと言ってはいけないのでしょうが。
(頂いた賀状で触れられていて、ちょっと気になってしまった)

一度下がってから階段を上ることで神聖さを演出していると
ブラタモリでも取り上げられた参道、あまりに混み過ぎてて途中で
完全フリーズしてしまったので、初めて裏道(上から下りる形になるルート)を
使いましたけど、そっちも激混みという…これが新年7日目の参拝ということか…。

参拝し、お護摩祈願に参加し真言を唱え、護摩木を二本納め、
自動販売機でおみくじを引く…毎年これを繰り返してます、作業のように。
おみくじだって、対人販売あるのに、なぜかいつも同じ自動販売機使うんですよ。
護摩木も、一本は船山さん、もう一本は家族のことを書くのもここ数年一緒。
歯磨きみたいなものなんです。やらないと気持ち悪い。

でも……ルーチン化しちゃダメなんじゃないかって、12回目にして強く思いました。
2006年から始めたので、12回―干支や木星も一回りしちゃうぐらいなんですが。
(2005年と2017年が木星天王星ですね)

2006年の正月、私が成田山へ向かったのは、どうしようもなく不安だったから。
不本意にも(←これは私の主観です)大学進学となった船山さんの今後が。

今でこそ、新年お護摩祈祷の順序…どこで太鼓が大きく打ち鳴らされビクリとするか、
予測がついて逆に身構えられちゃう私ですけど、あの時見たお護摩の炎は、
煩悩という不安を燃やし尽くしてくれるようで、とても神聖に映りました。

あの時の気持ちを忘れないために、ずっと初詣は成田山を選んでいるのです。
船山さんがジェフに移籍して、繰り返しに巻き込まれているから、
私もサッカー見るのに嫌気が差したりしてますけど、それでも正月になれば、
彼が怪我無くプレーできることと、今年こそ得点量産でJ1昇格!と願うことができる。

忘れないために。そう言い聞かせても、同じ思いを持ち続けるのは難しいものです。
私は大体3年で物事に飽きてしまうタイプだから、本当に難しい。
船山さんが現役でいる時間は残り少ないと、頭では分かっているんですけれども。

これまで、大きな怪我もなくやってこられてるのは、お不動様の加護だと
私は勝手に思ってますが(私が参ってるからじゃなくて、彼が元旦に行ってるから)

私はただ、忘れなければいいのです。
2009年の秋、退社するなり門前仲町に飛んで行って、懸命に真言を唱えていた時の気持ちを。

大体いつでもそうなんです、神仏にすがりたくなるのは、他人のことについて。
他人のことは変えられない。そりゃそうです。でも、そんな他人への気持ちを、
本人に剛速球で投げつけなくても、祈りとして神仏に届けることは出来る。
だから……私は11月下旬から、公演の最初と最後に長政さまの墓参りをしていたわけで。
1年前に光雲神社に絵馬を納めたのも、それ以外に想いをぶつける先がなかったから。

自分の道は自分で切り開けばいい。
おみくじの、闇から光へ、という文字には心が躍ったけれど。
(自分の本名が登場してびっくりしたけど、その文字自体は
 良い意味ではなかったから、家族には言えないですが)

そうだ、去年は珍しく良くないおみくじを引いたから、
財布に成田山のおみくじが入っていなかったんだ、と思ったり。
昨年は初詣も本意ではないながら秋月の垂裕神社でしたし。

こんなのは信心とは呼べません、ただの自己満足です。実に自分勝手な。
千羽鶴を勝手に作ってなすりつけるのと、そう変わりません。
そんな自分は醜いと分かっているけれど、こいつとは一生付き合っていくしかないから。

何かに縛られず、ふわふわと、雲のように風のようにありたいけれど、
自分は醜いから、せめて、誰かに迷惑をかけることなく。

ただ、ただ今を生きていきたい。


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