Land of Riches


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 2003年10月03日(金)   存規 

>日本サッカー協会は3日、日本代表のDF松田直樹(横浜M)が、腰痛のためチュニジアと
>ルーマニアへの遠征(6〜13日)参加を辞退したと発表した。代わりに20歳の
>DF永田充(柏)を招集する。20歳以下(U20)日本代表の永田は、5日からの
>米国遠征参加を取りやめる。 

…こうやって貼り付けた今も信じてません。時事通信だし(微苦笑)
本当なら、ものすごく喜んであげるべきなんだと思うんです。分かってるんです。
でも、それよりも、最後の大事な遠征をロストする不安…心配の方が大きくて。
角田さん、あのチームはなぜ前へ進むどころか下がっているんでしょう?

今という時は、今しかない、当たり前のこと、それが身に染みるほど痛い。

かなりびっくりしています。小さい頃からの夢だったので、選ばれてすごく嬉しいです。
初めての参加で不安ではありますが、思い切ってやってきたいです。


…予想通り身内より電話やらメールやらをいただきまして、LR書きを中断してました。
皆様ありがとうございます(笑)変な話ですけど、だんだん嬉しくなってきましたよ。
というか、喜んであげないとダメじゃん、って。だって彼には選択する権利はありません。
それに、望んだって入れない選手の方が遥かに大勢いるわけじゃないですか。

合宿をするたびに、同じことの繰り返し。チームが成長していないような気がする。

フル代表にはCBが中澤・手島・坪井(遅れて合流)の3人しかいないと聞かされて、
まさかフル代表の試合を朝4時半に起きてみなければならない日がこんなに早く来るとは、と
ビックリしてます。アメリカで3連戦を控えているU-20もCBを追加しないとまずい気が
するんですけど、どうなんですか大熊さん…角田さんの怒りは全くもって正論。
なのに最後の強化機会もフル代表やらナビスコやらに選手を奪われて。怒りも
前へ進むエネルギーへと転化するならば良いのでしょうけれど、体を蝕んでは…。

選ばれたという事実はもう変わらないのだから、それを前向きに受け止めるようにしないと。

本当は「明日は柏には行きません」と冒頭で宣言するつもりでLRを書く準備を始めたんです。
つまり、ネットサーフィンによる情報収集。増嶋くんの累積の枚数がどうだろうと、
給料日前のクレジット引き落としが痛すぎて身動きが取れない(しかも引き落とし日と
給料日の間には無情にも3連休が…)から。でも、こうやってしまっては、むしろ
本当に日立台へ行くべきなのかもしれません。応援している選手がフル代表まで
“のぼりつめた”という感覚を得たのは、本山さん以来なんですから。

初めて見たU-17選抜@新潟で、主将でありながら試合のメモに一度も登場しなかったこと
(でも彼はこれでプロへの手応えをつかんだ)、静学の主将として出た選手権で
いいところなく作陽の前に敗れ去った姿に何故か惹かれてしまったこと、やっとの思いで
見られたユース代表でのプレー@SBSカップ in 藤枝でのプレーが救いようもなく
ひどかったこと、その後の大熊ジャパン始動合宿で期待も空しく“クラブで必要な
選手なので早退”という扱いを受けなかったこと…様々な記憶が積み重なった今、
私が彼を呼ぶ時に使うのはナガタでもミツルでもなく「ヘタレ」だったりします。

今日は良かったみたいですけど、永田さんがいるとドキドキします。

何度も書いてますが、だからこそトップデビュー以降の変貌ぶりが信じられなくて、
いまだに…いまだに彼を過小評価しているというか、静学ファンと柏サポは彼を
過大評価しすぎ、何より信頼しすぎと思い続けているというか。望みとは裏腹に。

永田さんは正直まだまだこれからの子ですけど、
“柏の20番”を汚さない選手になるよう応援し続けますので。


Maybe make good time.....

誕生日を過ぎ、人生の一区切りを乗り越え、私は私自身の人生に一喜一憂することを
放棄し他人の生きざまに感情を投下してかりそめの人生を生きてきた…それを生きていると
言えるのかは分からない、けれど近頃は何もせずにただこうして“在る”ことが苦痛で、
悲しくて辛くて、現実と夢との区切り目のない世界をさ迷っていて、摂食&睡眠障害に
陥りながら、それを自覚していながら、初体験ではないゆえに醒めていて…自分のことなのに。

仕事を辞めて、引っ越しても、私自身からは逃げられない、死という形でしか。
当たり前すぎるぐらい当たり前の、残酷な真実。弱すぎる自分の身体と心と財布を
嘆きながら、どれだけほんの少しずつでもいい、生まれ変われるXデーを引き寄せられたら。

常にピリピリしている人と仕事をすれば汚染され、夢ですら彼女の怒った声に怯え、
訪れた朝では以前は2枚も平気だった食パン半分を食べるのにも苦労して、かろうじて
バナナだけスープだけで1日を始めてしまう日もざらで、今、自分へ起きている
数々の支障が経験済だというだけで放置して、薬漬けになる生活の再来を拒否していて。

私は何故あの街へ引っ越そうとしたのだろう? 答えは一つしかないのに正視したくない。

喜びたい時は喜べばいい、悲しい時は泣けばいい、そんな当たり前の感情さえ押し殺して。
感情を凍らせた鎧、それは他人の感情に過敏すぎるからまとうもの。壊れかけた、
既に一部が壊れていた私を明日へ引きずっていくもの。夜中に絶叫しながら目覚めたり、
部屋を飛び出して、ついに親と同じ部屋で眠ることを求められたりする私の、歩む先。

綺麗事、理想論、裸の願望、どれもつかまえられない、歯痒くて、人の話を聞くだけ、
自分はその話の半分もできない、そもそも語り合う相手もいない、独りでないのに
孤独な暮らし。飽きても逃げ出したくても周りは変わってくれない。自分が変えなければ。

生きている理由、いや実感が欲しい、それをくれるというのならついていく、どこまでも。


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