Land of Riches


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 2003年05月17日(土)   Magical Logic / Logical Magic 

阪神の試合を見て、ぶつぶつ言いながらも喜んでいる父親を見ていると、
聡太さんも一日で一番楽しい時間はそういう時間だったら嫌だな、って思ったり。

川崎憲次郎さんと伊藤智仁さんは、今は知りませんけど、昔は…私がスワローズへ
生活のほぼ全てを捧げていた頃は親友でした。同じ学年の(憲次郎さんは早生まれ)
ピッチャーで、世間を席捲する大活躍と、ボールを握れない地獄のリハビリという
両極端な経験を、多少のタイムラグがあるとはいえ味わっている、仲間なのです。

もっとも違いも多々あって、ピッチングスタイルが、憲次郎さんがストレート押しなのに対し、
智仁さんは伝家の宝刀スライダーで勝負します。それ以上に、生い立ちが対照的で、
そこで形成された性格・価値観も異なります。智仁さんがバルセロナ五輪で名を馳せ
スワローズへ入った時には、既に憲次郎さんは上記の光と陰を一通り体験してました。
巨人キラーとして活躍しながら肘の故障に苦しんだ憲次郎さんは、防御率0.91と引き換えに
肩を壊した智仁さんを、自分オススメの電気治療へ誘ったりしています。

智仁さんがプロ入りしたドラフトの目玉は、今をときめく松井秀喜さんで、有名な話ですが、
タイガースファンの彼はジャイアンツの指名を受け入れ、その4番打者にまでなりました。
その潔さを覚えている人も多そうですが、智仁さんも競合確実(当時まだ逆指名制度は
存在しておらず、本人の希望を尊重するかは球団次第でした)と報じられたにもかかわらず、
彼はMMCの工場でつなぎを着ながら、自分はお金を稼ぐことの大変さを知っているから、
どこでも構わない、と言ったのです。そして、スワローズ・カープ・ブルーウェーブの
3チームから1位指名を受け、野村監督(当時)の手でスワローズ入りが決定したのでした。

私が生涯でただ一度だけリアルタイムで見ていたドラフトなので、好きだった智仁さんを
好きなスワローズが「交渉権獲得」してくれたのが、とても嬉しかったのを覚えています。
今から11年前の秋の出来事です。プロ野球選手として、好きな野球で生計を立てるのことの
重みを分かっているから、今の彼は、野球協約で定められている最大限の年俸ダウンも
あっさりのんで(なにせ全然働いてないのですから…それでも、彼が偉大だった頃に
結んだ複数年契約の残影で、並みのJリーガーとは比べものにならない年収ではあります)
ただ、現役であることのみにこだわってます。そんな価値観を育んだのが、職人のお父様と
失礼極まりないファンに対してすら礼儀正しかったお母様であるのは、疑いようがありません。
結婚時の一騒動といい、あんな智仁さんと、それを育てた陽子お母様は偉大ですよ…。

憲次郎さんは巨人の藤田監督(当時)をドラフト時もドラフト後も歯ぎしりさせた
若きエースで、後に待遇への不満からドラゴンズへの移籍を選びます。ここに至るまで
チームメートが慰留に努めた話をいろいろ知ってますが、それは書きません。
憲次郎さんは母ひとり子ひとりで育ち、プロ入り後もそのお母様へまず家を建てました。

…何が書きたいのか分からなくなってしまいました。私は今でも智仁さんの帰りを
待ってますけど、憲次郎さんはそうではありません。だって、今では他チームの人だから。
いろいろと複雑な思いがよぎるけれど、人として、振り返った時に、胸を張れる人生を、
それを選ぶのは難しいけれど、そうあるために最善の努力を尽くしたいな、と思いました。

岡林さんは、その点、やはり、最高に素晴らしい人ですよ、私の中では。


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