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Land of Riches
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今日は欠勤やら出向やらの人が多くて、オフィスはガラガラ。 かつて、あの人から聞いたエンジニアライフ―出退勤の挨拶しかしないというのも あながち嘘でも誇張でもなくて、家へ帰ってからも自分のところと 興味が継続できている片手の指で数えるほどのサイトを回ったり、 気が乗らないのに書かざるを得ない(今スランプなんですよ…ネタ練り助っ人大募集) 文章をぱちぱちとタイプする余裕のある晩の方が珍しいぐらい、 帰宅→食事→入浴→睡眠という必要最低限の日課しかこなせない、 それすら面倒でかなわないという有り様です。 文章の接続がおかしいですね…えっと、誰とも話さずに終わる日が存在する、それが言いたかったんですよ。 「挨拶」や「連絡」は「会話」とは違うと思っているので。
望んで歩んできた―結果的にとはいえ―道で、他者との接触を極力嫌い、 コミュニケーションスキルの欠落を補うどころかどんどん穴を大きくしている、 それが世間…違うな、ヒトが集まって構成される社会に対するスタンスです。
一人一人のヒトは独立した生命体ですから、他人の干渉を必要以上に 受けることもないのですが、とはいえニンゲンはやはりヒトの間と書くわけで、 鳴らない携帯―無料分を半分以上無駄にしている現状は、やはり寂しくはあるのです。
価値観の差異が避けられないのが分からない年齢ではありませんし、 気に食わない文章を見かけたり行動を目の当たりにしたとしても、 「そういう選択肢もあるんだ」と自分を納得させなければなりません。 ありとあらゆるシーンで目には目を、歯には歯を、と“復讐”していたら 本来なら自分の方が持たなくなってしまうわけです。 肉体的かつ精神的なリミットを超えた存在となれば、また別ですが。 先日、世界中を震撼させた出来事を起こした人たちは、それに該当するわけです。
そう考えると、「狂気」は(考えの合わない)他者を排除した “理想的な”“居心地のよい”コミューンとも取れそうです。 日本にも、幕末あたりにはそんな人がごろごろいたんじゃないでしょうか、京都あたりに。
ヒトは大なり小なりコミューンに属して生きている生物で、逆に どこのコミューンにも属さず生きていくのは、不可能ではないにしろ、至難の業でしょう。 “仲間”とか“親友”とかいう単語に対する憧れが消えないのは、 私がいまだ居場所を…いやすいコミューンを見つけられないからです。 あったような気がしても、いつのまにかそこから滑り落ちていたりして。
それすら、不可避の変化として受け止めなければならないのでしょうか?
…もうすぐ退勤時刻です。会社と自宅を合わせたら、人生の半分以上を Windowsと向き合って過ごしているような日々です。なんて不健康な。
セカイの果てには(日本人は)誰も知らない幻の花が咲いているのだと信じてやまない今日この頃です。
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