橋本裕の日記
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| 2007年10月20日(土) |
自殺を思いとどまる方法 |
世界では毎年100万人ほどの人が自殺をしている。日本でも3万人以上の人が自殺をしている。毎日100人近くの人が自ら命を断っているわけだ。これは交通事故死の3倍以上、殺人事件の20倍以上である。
私の友人や知人にも自殺をした人がいる。大学の友人、大学院の友人、教員の友人、それから中学校の同級生と、まずは4人の名前と顔が浮かぶ。身近な人を自殺で失うのは淋しいことだが、さいわい30年近く教師をしてきて、自分の教え子から自殺者を出さなかったのが救いである。
死にたくてならぬ時あり はばかりに人目を避けて 怖き顔する
これは石川啄木の歌だが、私も死にたいと思ったことは何十回とある。たとえば小学6年生の頃に、屋根裏部屋でロープで首吊りをして失敗した。これは自伝「少年時代」にも書いたことだ。
一番最近では10年ほど前である。教師をしていることに嫌気がさし、肉体の不調に次々と襲われ、精神的にも追い込まれて、毎日朝起きるたびに「死にたい」と考えていた。今考えてみると、かなりうつ状態だった。
そしてある朝、その欝が高じて、今日こそ「死のう」と決意した。ところがその日、学校で思いがけないことが起こった。受け持ちの女の子が泣きながら、「今、おばあちゃんが死にました。帰らせて下さい」と言ってきたのだ。
その女生徒の泣き顔が、同じ年頃の自分の娘たちの顔と二重写しになった。私が死んだら、娘たちはやはり泣きながら家に帰っていくのだろう。どんなつらい思いをして、これからの人生を生きていくことになるのだろう。妻や福井にいる母もどんなに悲しむだろう。
自分の受け持ちの生徒の泣き顔を見て、私はそのことに思いをはせた。そうすると「これはとても死ねない」と思った。そして、「あと一日だけがんばってみよう」と思った。
それからもうつ状態は続き、苦痛なことが重なって、毎日のように「死にたい」と思った。しかしそのたびに「もう一日だけ生きてみよう」と考えて、どうにかその辛い時期をのりこえることができた。
人生に浮沈はつきものだ。辛いときもあるし、楽しいときもある。死にたくなる人の気持はわかるが、生き延びているとそのうちに良いこともあるだろう。事実、私はいま人生で最高と言ってよいほど幸せである。あの辛い時期を知っているだけに、心身ともに健康であることの幸せが身にしみる。
だから 死のうとしている人には、「いつでも死ねるから、もう一日のばしてみてはどうか」と声をかけてやりたい。「一日だけ」というところがポイントである。その一日で気持が変わるかもしれない。かわらなくても、辛抱しただけのことはある。
一日一日をなんとか辛抱して生き延びていくことで、いつか暗いトンネルの向こうに出られるかもしれない。そしてそこにはまた、新しい人生の風景が広がっている。それは死ぬほどの苦しみを潜り抜けてきたものだけが知る、悦楽の世界である。
(今日の一首)
死にたくてならぬ時あり 家を出て道端の花 そっと見てみる
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